申儀
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建安24年(219年)、兄の申耽は曹操の配下として上庸太守を務めていたが、劉備配下の劉封・孟達が進軍してくるとこれに降伏。この際に申儀は建信将軍・西城太守に任じられた。
黄初元年(220年)[1]、劉封に反旗を翻して魏に降伏し、申耽の地位を引き継いだ。後にまた申耽も降伏。申耽は懐集将軍に任じられ、南陽に移住。申儀は魏興太守・員郷侯となり、洵口の地に駐屯した。
申儀は共に魏に降伏した孟達と不和となり、度々上言して、孟達が蜀と内通していると述べていた。太和元年(227年)[2]、孟達が蜀に与すると、同国と通じる道を断って救援を防いだ[3]。
『三国志』劉封伝注の『魏略』によると、孟達の討伐後、申儀は司馬懿の勧めで上洛。楼船将軍に任命され、諸侯並みの礼遇を受けたとされる。一方、『晋書』宣帝紀によると、申儀は長く魏興という僻地にあって威勢を誇り、勅命と称しては勝手な命令を下していた。これを知った司馬懿は、孟達討伐の奉賀に託けて申儀を招聘すると、彼を逮捕し、都へと送還したという。