白坂昌棟 From Wikipedia, the free encyclopedia 白坂 昌棟(しらさか まさむね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。北原氏、島津氏の家臣。 時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 不明死没 不明改名 兼頼→昌棟→昌林(法名)概要 凡例白坂昌棟, 時代 ... 凡例白坂昌棟時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 不明死没 不明改名 兼頼→昌棟→昌林(法名)官位 美濃守主君 北原兼孝→島津義弘氏族 白坂氏兄弟 昌棟、篤義子 篤昌、篤次、篤実テンプレートを表示閉じる 略歴 白坂氏は先祖代々北原氏に随身し、昌棟は踊[1]の地頭及び横川城主を務めていた。永禄2年(1559年)、北原氏の家督と領地が日向の伊東義祐に簒奪され、更に永禄5年(1562年)飯野城主・北原兼孝が義祐に殺害されると、昌棟は義祐に従うのを良しとせず薩摩の島津義弘へ誼を通じる。そして、自らの領地を献上した上でその家臣となった。 以後は、島津家臣として真幸院吉田の地頭に任じられ、文禄・慶長の役には三人の息子と共に朝鮮へ渡海している。後年は加治木[2]へ移住、子孫は薩摩藩の加治木衆として存続した。 脚注 [1]現・鹿児島県霧島市。 [2]現・鹿児島県姶良市。 参考文献 『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会) Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks