飯野城 From Wikipedia, the free encyclopedia 飯野城(いいのじょう)は、宮崎県えびの市飯野にあった日本の城(山城)。別名亀城・鶴亀城。現在は亀城公園。えびの市指定史跡[1]。 別名 亀城、鶴亀城城郭構造 山城天守構造 建造されず築城主 日下部氏概要 logo飯野城 (宮崎県), 別名 ...logo飯野城(宮崎県) 本丸と本丸に残る土塁別名 亀城、鶴亀城城郭構造 山城天守構造 建造されず築城主 日下部氏築城年 平安時代末期主な改修者 北原氏主な城主 日下部氏、北原氏、島津氏廃城年 元和元年(1615年)遺構 土塁、堀、虎口、石垣指定文化財 えびの市指定史跡[1]位置 北緯32度3分16.41秒 東経130度52分8.63秒 飯野城 テンプレートを表示閉じる 概要 比高50メートルの河岸段丘上にあり、城の南方は川内川に面して、また東方と西方もその支流が流れいずれも険崖になっており、北方は押建山が壁の役割を果たす要害の城。 本丸・二の丸・三の丸に加え、見張り台・桝形・弓場と呼ばれる郭が存在した。また、10メートルほどであるが石垣が遺構として残されている。 歴史 永暦元年(1160年)に日下部重貞が真幸院司に就任し、真幸院守護の目的で築き居城としたが、その日下部氏が没落すると、康永4年(1345年)に北原兼幸が真幸院司に就任し居城とした。 永禄7年(1564年)、その北原氏も滅ぶと今度は島津氏の所有となり、島津貴久の次男・島津義弘の居城となった。 天正15年(1587年)に義弘の嫡男・島津久保の居城となるが、久保は文禄の役に参加中の文禄2年(1593年)に病死する。 元和元年(1615年)の一国一城令により廃城。 三ノ丸の空堀 脚注 [1]「市指定史跡」えびの市公式HP 関連項目 日本の城一覧 加久藤城 小林城 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks