白妙 (駆逐艦)
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| 白妙 | |
|---|---|
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| 基本情報 | |
| 建造所 | 三菱造船所 (長崎)[2] |
| 運用者 |
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| 艦種 | 駆逐艦 |
| 級名 | 神風型 (初代) |
| 母港 | 佐世保 |
| 艦歴 | |
| 計画 | 明治37年度臨時軍事費[3] |
| 起工 | 1905年7月25日[注釈 1] |
| 進水 | 1906年7月30日[3] |
| 竣工 | 1906年11月20日[3] |
| 最期 | 1914年8月31日座礁、9月4日沈没[3] |
| 除籍 | 1914年10月29日[3] |
| 要目(計画) | |
| 常備排水量 | 381英トン |
| 満載排水量 | 450英トン |
| 長さ | 69.2 m |
| 幅 | 6.6 m |
| 吃水 | 1.8 m |
| 主機 | レシプロエンジン2基 |
| 推進 | 2軸 |
| 出力 | 6,000hp |
| 速力 | 29ノット |
| 燃料 | 1907年時:石炭満載104.0トン[4] |
| 航続距離 | 850カイリ / 11ノット |
| 乗員 | 70名 |
| 搭載能力 | |
| 兵装 | |
白妙(しろたえ、旧仮名 : しろたへ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、神風型駆逐艦 (初代)の22番艦である。
建造
1905年(明治38年)2月15日、命名(製造番号第22号)[10]。 同年7月25日[注釈 1] [注釈 3]、 三菱造船所 (長崎) で起工[2]。 船番168[11]。 1906年(明治39年)7月30日進水[注釈 4]。 8月15日、駆逐艦に類別[12]。 11月10日に引渡予行運転を行い速力29.113ノットを記録したが、その後の開放検査で右舷中圧気筒のスチーム・ポートに亀裂2カ所発見された[13]。 些細な亀裂で運用に問題は無いと思われたが、竣工後に当該カ所を交換することになった[13]。 書類上は11月20日付で竣工、22日に海軍へ引き渡された[注釈 5]。 11月23日出渠した[14]。
1907年
その後は第一予備駆逐艦に指定され[14]、佐世保海軍工廠で兵装工事を行った[15]。 また1907年 (明治40年) 2月12日より亀裂の入った気筒の交換工事を長崎で開始[16]、 3月7日に工事は竣工した[17]。
3月19日に佐世保軍港を出航、韓国南岸を航行し、25日佐世保に帰港した[18]。
6月10日に長崎の三菱造船所第2船渠に入渠、艦底の塗装を行い[19]。翌11日に出渠した[20]。
7月28日に佐世保を出航、韓国の警備任務を行った[18]。 8月1日時点で第二艦隊に所属し[19]、朝鮮半島海洲港にいた[21]。 8月27日に佐世保に帰港した[18]。
9月1日時点で第一予備駆逐艦 (第九駆逐隊) となっており[22]、 佐世保で小修理を行っていた[23]。
9月12日に佐世保を出航、韓国南岸を航海し16日に今福に帰国した[18]。
また10月から11月に缶室送風機の修理を行い[24]、 11月12日佐世保を出航、韓国南岸を航海し19日佐世保に帰港した[18]。
11月25日から艤装改良工事や機関修理 (主機の分解修理[25]) などを佐世保で行った[26]。 12月25日に入渠し艦底塗換工事を実施[25]、 全工事の終了は翌1908年 (明治41年) 1月中旬を予定した[27]。
1908年
1908年 (明治41年) 3月2日徳山港を出航、韓国南岸を航海し6日佐世保に帰港した[18]。
1909年
1909年 (明治42年) 11月12日午後10時過ぎに助薬島の南を隊の4番艦として航行していたが[28]、 暗闇のため海岸線がはっきりせず、また潮流等で艦位の測定がずれていたために[29] 海岸に50mまで接近、10時24分に後進全速としたが陸岸に接触した[28]。 損傷は軽微だったが[30]、 艦首下方がフレームNo.7まで屈曲した[31]。 佐世保海軍工廠で約10日間の修理が行われた[30]。
1912年
第一次世界大戦
1914年(大正3年)8月17日佐世保を出航し支那方面で警備任務を行い、23日より第一次世界大戦に参戦[18]、 青島の戦いに参加した[3]。同年8月31日午前2時膠州湾外霊山島沖で座礁し[1][32]、9月4日に沈没[1]。 10月29日除籍、 艦艇類別等級別表からも削除された[33]。
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 駆逐艦長
- 加村康政 大尉:1906年11月5日 - 1907年5月17日
- 中桐啓太 大尉:1907年5月17日 - 6月13日
- (兼)増田幸一 少佐:1907年6月13日 - 7月30日
- (兼)大島正毅 中佐:1907年7月30日 - 9月3日
- 春日正量 大尉:1907年9月3日 - 1909年7月30日
- 黒田勇吉 大尉:1909年7月30日 - 1911年5月23日
- 泥川豊 大尉:1911年5月23日 - 1912年12月1日
- (兼)園田信正 少佐:1912年12月1日 - 12月20日
- 宮田源八 大尉:1912年12月20日 - 1913年5月24日
- 白戸光久 大尉:1913年5月24日 - 12月1日
- 梅鉢義三 大尉:1913年12月1日 - 不詳