白檮山氏
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明治時代の町人の様子を描いた小諸商人太平記に、諸国「銘茶」・「煙草」を販売していた商家の樫山(屋号は鳩屋)として登場する。
樫山敬の長男であった樫山春利が、江戸時代末期(幕末)・維新期に国学・歌学を学び、家業を継がずに分家して、樫を白檮と改め壬申戸籍編成時に届出をなしたのが白檮山姓のおこりである。
春利の弟は、樫山姓を称した。3人の男子が子孫を残したが、その2番目の男子の家系から、樫山純三(オンワード樫山の創業者。中央競馬会・馬主)、樫山欽四郎(早稲田大学教授・哲学者・ヘーゲル研究家。女優・樫山文枝の父)などが出た。
鳩屋の遠祖は、甲斐国の戦国大名の武田氏配下の寄子の一戸、樫山氏であったという伝説もあるが、小諸領内旧・家録(東京大学史料編纂所・小諸図書館蔵)や、小諸領内の特権的商人や、旧家・名家を記載した小諸藩文書(東京大学史料編纂所蔵)には、樫山姓は一切みられない。よって江戸時代は苗字を許されていなかったことがわかる。
鳩屋は、小諸藩重臣の牧野氏(牧野八郎左衛門家)と、真木氏と親しかったとされる。小諸騒動では一時、牧野・真木の反対派の首領である家老「加藤 六郎兵衛 成美」が覇権を握り、鳩屋までも謹慎処分に付されている。よって、鳩屋は藩重臣の家と付き合う家格の家であったことが、うかがわれる。
また牧野家文書によると、明治初年ごろ罪があり、数ヵ月間ではあるが縄目となり鳩屋兄弟は「入牢・服役」していたとする記述が現存している。