白髪岩の原三角測点
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白髪岩の原三角測点(しらがいわのげんさんかくそくてん)は、過去に使用されていた三角測量の基準点の一つである。
背景
群馬県藤岡市と下仁田町の境界付近・御荷鉾山系の
明治初期の測量事業は、はじめ工部省(のちに内務省)と陸軍が別々に行っていた。
まず工部省について述べる。1872年3月、工部省測量司は東京府の13基の三角点の測量を開始する[4]。同年5月には全国測量の部署が設けられる[5]。
その後、工部省の測量事業は内務省地理寮測量司に移管され、地理寮測量司は1877年に内務省地理局となった。東京府下の三角測量は全国の一等三角測量を展開する目的の「関八州大三角測量」(1875年)を経て「全国三角測量」(1877年)へと発展した。この全国三角測量のさい設置されたのが原三角測点(大三角点)である[6]。明治10年代(1877年から1886年)に関東地方・中部地方に計約100基の原三角測点を設置したが、それらの大部分は後に陸軍が一等三角点を設置した際に撤去・処分されている[7]。
一方陸軍では、工兵少佐・小菅智淵らを中心として1880年から1886年にかけて図根測量による「迅速測図」が作成された[8]。
1884年6月30日、内務省の全国三角測量を参謀本部に移管[9]。
2025年現在、原三角測点は東京都の最高峰・雲取山と新潟県の米山でも確認されているが、当初の位置から移動していると推定されている[7]。
発見
2001年6月、深谷市の公務員・飯島仁によって白髪岩の上で確認された。陸軍の一等三角点はこれとは別の場所に設置されたが、以前から地図愛好家の間では「内務省の原三角測点がどこかに埋まっているのでは」と注目を集めていた。それを5年以上にわたって探索してきた飯島であるが、白髪岩の上に設置したという当時の記録と同じ場所で発見された[7][10]。
文化的意義
2023年4月の調査によると、原三角測点の標石が国有林と民有地との境界として「現役」で使用されていることが分かった。群馬県立自然史博物館の学芸員・菅原久誠は「近代日本の地図作製の根幹を担った文化的価値がある」と評価する[2]。森林管理署で管理されている境界標は、赤スプレーなどで着色するのが一般的である。しかし菅原らによると、白髪岩の原三角測点に関しては着色しないと下仁田町教育委員会文化財保護係が森林管理署に相談・依頼していたことが下仁田町教育課文化財保護係に残されている文書により明らかになっている。少なくとも白髪岩山頂周辺の国有林の境界管理が始まった時点で、原三角測点標石の存在は関係者に認識されていた。そして下仁田町教育課によって保護する動きもあったことがわかる[11]。
玉村町の主婦・和田晴美は「先人が苦労して設置した、近代測量の原点。放っておいたら忘れられてしまう」と、保全に向けて活動を始めた。今後は、標石の位置が藤岡市なのか下仁田町なのかを確定し、当該自治体に文化財などとして指定してもらうなどの働きかけをしていくという[2]。
2024年2月には南牧村の石材店経営・青木清二が村名産の
脚注
出典
- 1 2 石川 2024, p. 27.
- 1 2 3 平井 2024, p. 19.
- 1 2 神辺 2024, p. 21.
- ↑ 加藤芳夫「明治初期の勇払基線と苫小牧の発展:わが国最初の系統的な基線測量と三角測量をめぐって」『地図』第16巻第4号、日本地図学会、1978年、11-16頁、doi:10.11212/jjca1963.16.4_11、ISSN 0009-4897、NAID 130003812982。
- ↑ 内務省, 大久保利通, 三条実美 編『内務省第一回年報: 自明治8年7月至明治9年6月』内務省、1876年、1-4頁。
- ↑ 菅原et al. 2024, p. 116-117.
- 1 2 3 讀賣新聞 2001, p. 17.
- ↑ 菅原et al. 2024, p. 116.
- ↑ 師橋辰夫、佐藤侊「明治初期測量史試論―伊能忠敬から近代測量の確立まで―7」『地図』第19巻第1号、日本地図学会、1981年、36頁、doi:10.11212/jjca1963.19.31、ISSN 0009-4897。
- ↑ 飯島仁「西上州・白髪山で見つけた原三角測点」『岳人』第653号、東京新聞出版局、2001年、87-90頁、NCID AN00016245。
- ↑ 菅原et al. 2024, p. 123.
参考文献
- 菅原久誠、里見哲夫, 和田晴美, 岩崎正春, 野口陽子, 高橋真理子, 高橋孝雄, 青木清二, 神宮 開, 中島啓治, 黛 勝司, 藤巻裕和「群馬県甘楽郡下仁田町・藤岡市境界の白髪岩における原三角測点標石の学術総合調査」『群馬県立自然史博物館研究報告』第28号、2024年、115-128頁、ISSN 1342-4092、2025年10月19日閲覧。
- 神辺尚美「明治の原三角測点、光を 藤岡、下仁田境界の白髪岩山頂 有志が保存会」『上毛新聞』2024年5月11日、21面。
- 平井茂雄「原三角測点、郷土の宝に 明治の測量遺構 玉村の女性「文化財指定を」」『朝日新聞』2024年5月14日、群馬全県、19頁。2025年10月18日閲覧。
- 石川裕司「140年前の標石 複製寄贈 南牧・青木さん」『讀賣新聞』2024年2月20日、東京朝刊、27面。
- 「測量の歴史語る明治の遺産 三角点標石あった! 群馬の山中で愛好家が発見」『讀賣新聞』2001年7月29日、東京朝刊、17面。
座標: 北緯36度9分2.3秒 東経138度49分17.1秒 / 北緯36.150639度 東経138.821417度 / 36.150639; 138.821417