白鳥神社 (長野市)

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所在地 長野県長野市松代町西條東六工3674番地
主祭神 日本武尊
貞元親王
真田信之
社格 旧県社
白鳥神社

一の鳥居
所在地 長野県長野市松代町西條東六工3674番地
主祭神 日本武尊
貞元親王
真田信之
社格 旧県社
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白鳥神社(しろとりじんじゃ)は、長野県長野市松代町西條舞鶴山にある神社。旧社格は県社。

赤い二の鳥居の左側に絵馬殿、その奥に小さく惣門が見える写真
二の鳥居、絵馬殿(左)、惣門(奥)

日本武尊 (やまとたけるのみこと)を主神真田家始祖英語版貞元親王(ていげんしんのう)とともに松代藩初代藩主・真田信之を祀る[1][2]

松代藩七代藩主・真田幸専(ゆきたか)が現在の社殿を文化10年(1813年)に再建した際に初代藩主・真田信之の霊が合祀された[3]

昭和26年(1951年)に第2代藩主真田信政からの歴代9柱も合祀された[3]

歴史

松代藩初代藩主・真田信之が元和8年(1622年)に上田より松代に移封された際、祈願寺であった海善寺を松代に移して開善寺としたのに続いて、寛永元年(1624年)に真田家の鎮守社として海野宿に鎮座する白鳥神社(東御市本海野)を分社して現在地に勧請(かんじょう)した[1][4]

現在の社殿は、文化10年(1813年)に第六代藩主・真田幸弘(ゆきひろ)と第七代藩主・真田幸専(ゆきたか)を願主として改築された[5]

明治31年(1898年)に県社に昇格[3]

建造物

一の鳥居を抜けて300メートルほど参道の坂道を登ると二の鳥居があり、その右側に神厩舎(しんきゅうしゃ)[注 1]、左側に絵馬殿(えまでん)[注 2]がある。石段を登ると惣門(そうもん)[注 3]があり、その奥に拝殿、そしてその奥に三社本殿(さんしゃほんでん)がある。

白鳥神社境内地には複数の建築物群が存在するが、三社本殿、拝殿、絵馬殿の三棟が棟札や建築様式等から文化10年(1813年)の建築とされる[6]

三社本殿

三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、 杮葺(こけらぶき)。妻飾(つまかざり)[注 4]は、構造的に古い形式の猪子扠首(いのこさす)[注 5][5][6]

三社本殿の写真
三社本殿
手前左側に拝殿と右奥に三社本殿が写っている写真
拝殿(左)と三社本殿(右奥)

拝殿

入母屋造(いりもやづくり)、桟瓦葺(さんかわらぶき)[注 6]。内部に障壁画、天井には格天井が張られ、屋根伏は、向拝も含めると十字形を呈する屋根形状となっている[5][6]

拝殿の写真
拝殿
拝殿を右側から撮影した写真
拝殿(側面:正面右側から)

絵馬殿

正面妻側(つまがわ)に切妻屋根(きりづまやね)を複合した特異な造りで、桟瓦葺(さんかわらぶき)[5]。全体の屋根伏は、撞木造り(しゅもくづくり)のような独特な形状となっている[6]

絵馬殿の写真
絵馬殿
絵馬殿内部(絵馬や奉納額は古いため何が書いてあるかほとんどわからない)の写真
絵馬殿の内部

神厩舎

神厩舎の中には第八代藩主・真田幸貫の命で嘉永二年(1849年)に諏訪の立川流彫刻の二代目・立川和四郎富昌(わしろうとみまさ)が制作した木造神馬(じんめ/しんめ)が安置されている[7]

神厩舎の写真
神厩舎
神厩舎に安置されている木造神馬の写真
木造神馬

建物群について書かれた立て札

敷地内に設置された立て札には『この建物群は久能山東照宮を小型化して造られたと言われている』という内容の記述がある。

白鳥神社の入口の鳥居の付近に設置された複数の立て札の写真
入口付近に設置された複数の立て札

所在地

交通アクセス

脚注

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