盛田嘉哉
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プロ入り前
享栄商業高から本田技研に入社。 しかし、わずか1年足らずで退社し、名城大学に進学したため、愛知大学野球リーグ戦の出場が認められたのは2年生から(当時の連盟規約により1年間選手登録が認められなかったため。)。 同リーグ戦には通算74試合出場、264打数69安打、打率.261、2本塁打、15打点。3年間でリーグ記録となる通算108盗塁を記録(盗塁死はわずかに3)。 ホームスチールも9つほどあったという。1969年春季には同リーグシーズン記録となる28盗塁を記録した。 外野手としてベストナインを2度受賞。 1970年のドラフト会議で中日ドラゴンズから7位で指名され、入団。名城大学からドラフト指名された第1号のプロ野球選手となった。
プロ入り後
開幕時よりウエスタン・リーグで盗塁を量産し、5月25日に1軍へ昇格。 6月7日の対ヤクルトアトムズ戦でプロ初盗塁を記録したが8月11日の対大洋ホエールズ戦で左足3ヶ所を骨折。この後2軍降格となりそのままシーズンを終えた。
1軍監督が与那嶺要に代わり代走専門の選手を1軍に置かなくなったため出場機会は減少したものの、24試合出場で5盗塁を記録した。
ウエスタン・リーグ盗塁王を獲得したものの1軍では出場機会には恵まれず1試合のみの出場となった。
プロ入り後、初めて1軍での出場機会がないままシーズンを終了。この年限りで退団となり現役を引退する。引退後は飲食店を経営した。