盧廷潤

韓国のサッカー選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

盧 廷潤(ノ・ジョンユン、노정윤1971年3月28日 - )は、大韓民国出身の元サッカー選手。元韓国代表京畿道仁川市(現・仁川広域市)出身。Jリーグ初期はノ・ジュンユンの読みで登録されていた。元韓国女子代表選手の劉永玉 は妻である[1][2]。韓国代表として初めてJリーグでプレーしたサッカー選手でもある。

愛称 ノーさん
カタカナ ノ・ジョンユン
ラテン文字 NOH Jung-Yoon
ハングル 노정윤
概要 盧 廷潤, 名前 ...
盧 廷潤
名前
愛称 ノーさん
カタカナ ノ・ジョンユン
ラテン文字 NOH Jung-Yoon
ハングル 노정윤
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
生年月日 (1971-03-28) 1971年3月28日(55歳)
出身地 京畿道仁川市(現・仁川広域市)
身長 171cm
体重 68kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1986-1988 大韓民国の旗 富平高校
1989-1992 大韓民国の旗 高麗大学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1997 日本の旗サンフレッチェ広島 138 (36)
1998 オランダの旗NACブレダ 25 (1)
1999-2001 日本の旗セレッソ大阪 64 (5)
2001-2002 日本の旗アビスパ福岡 46 (7)
2003-2004 大韓民国の旗釜山アイコンズ 47 (3)
2005-2006 大韓民国の旗蔚山現代FC 31 (0)
通算 351 (52)
代表歴2
1990-2000 大韓民国の旗 韓国 43 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2007年4月26日現在。
2. 2007年3月25日現在。
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経歴

地元の富平高等学校から高麗大学校[注 1]へ進学し、大学在籍中の1990年に韓国代表入り、7月27日の日本戦に途中出場して代表デビューを果たす。

卒業後、1992年度行われたKリーグドラフトで油公(現済州ユナイテッドFC)に指名されたが、以前からオファーの届いていたJリーグのサンフレッチェ広島に入団[注 2]。韓国内でも将来の中心選手として期待が高かったため、Jリーグ入りは韓国国民から強い非難を受けるなど大騒ぎとなった[3]。Jリーグ開幕戦となったジェフユナイテッド市原で先発出場[4]。スピードに乗ったドリブル突破と闘争心溢れたプレーですぐに実力を証明してレギュラーを掴み[5]、6月23日の横浜マリノス戦でプロ入り初ゴールを含む2ゴールを決めた[6][7]。1994年のサントリーシリーズ(1stステージ)優勝に貢献、この年は年間10ゴールを決めた。なお、本人はワールドカップアメリカ大会出場のため、チームが優勝を決めた同年6月11日のジュビロ磐田戦を含め、第1ステージ終盤の5試合はチームを離れた。韓国代表メンバーとしてW杯アメリカ大会への出場を果たし[8]、2試合に先発出場した。1995年、チームは低迷したものの、13得点を記録してチーム内得点王となった[9]。同年はJリーグオールスターサッカーのメンバーに選出され、初出場を果たした[10]。1996年、第76回天皇杯全日本サッカー選手権大会準決勝のガンバ大阪戦では決勝ゴールを挙げ、決勝進出の立役者となったが、元旦の決勝ではヴェルディ川崎に敗れた。1997年限りでサンフレッチェを退団、1998年の初頭にオランダNACブレダローン移籍。しかし、加入後2週間で半月板の故障で手術を受ける羽目になった[11]。それでも韓国代表入りを目指して無理を押して試合出場を続けた[11]

1998年、フランス大会ではグループリーグのメキシコ戦に先発出場、良いプレーを見せていたが、この試合で右膝を負傷し、以降の試合に出場出来ず[11]、チームもグループリーグで敗退した。

1999年の1stステージからセレッソ大阪に加入、1999年のJリーグ戦では11アシストを記録するなど活躍[12]週刊サッカーマガジンの選出する年間ベストイレブンに選出された[12] 。2000年1stステージの躍進に貢献、同年はJリーグオールスターサッカーに2度目の出場を果たした[13]。翌年のシーズン途中、チームの不振に伴い金都根と共に契約解除。蔚山現代に加入する一歩手前まで来たが、当時のKリーグの規定(ドラフトから入団しない選手はリーグでプレーする資格を失う)に抵触するため断念。アビスパ福岡へ入団したものの、この年の福岡はJ1残留争いに巻き込まれ、最終順位15位となりJ2リーグへ降格してしまう。2002年も福岡に残留したがJ1昇格を果せず、また事件[注 3]の影響もあってシーズン終了後に退団。J1では通算215試合43ゴールの成績を残した[7]

Kリーグの規定が解除された2003年に釜山アイコンズ(現:釜山アイパーク)に入団し、翌年のFAカップ優勝に貢献。2005年からは以前に入団しかけた蔚山現代でもプレーし、2006年シーズン終了をもって35歳で現役を退いた。

その後、アメリカに渡りロサンゼルスを拠点に生活、サッカー指導者を志す[14]。2010年6月より韓国に帰国し、ゲーム会社顧問として活躍している[15]

その他

1994年ワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選中の参加国の合同宿舎においては、上記の軋轢から自身をスパイ扱いする韓国代表選手との接触を避ける一方、Jリーグで同僚の森保一や他の日本代表の選手にキムチ焼き肉を差し入れたり、他のチームの情報を伝えたりしていた[16]。最終予選で韓国が日本に敗れ、ほとんどの選手が悔しさのあまり取材すら拒否してスタジアムを後にする中、盧だけは日本のテレビカメラに向かって笑顔で「おめでとう」とコメントを残した。この試合に敗れたことについて、金皓韓国代表監督が「廷潤が日本代表のスパイであったせいで韓国は負けたのだ」とテレビカメラの前で主張を展開。それ以降、決定的に韓国全土にスパイの汚名を着せられることとなる[注 4]

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993広島-J2862142349
1994361010304010
19953813-514314
19962454052337
1997141223021173
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1997-98NACエールディヴィジ90
1998-99161
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999C大阪10J12702020310
20002544010304
200112110-131
福岡40132-00132
200210J2335-00335
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2003釜山Kリーグ272-00272
200420110312316
2005蔚山現代23012010360
200680000080
通算日本J1 2154317122625450
日本J2 335-00335
オランダエールディヴィジ 251
韓国Kリーグ 783223221028
総通算 35152
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さらに見る 国際大会個人成績, 年度 ...
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2006蔚山現代
通算AFC
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その他

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 45試合 5得点(1990年-2000年)[18]
さらに見る 韓国代表, 国際Aマッチ ...
韓国代表国際Aマッチ
出場得点
199081
199100
199210
199381
199450
199500
199600
199700
199850
199951
2000132
通算455
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脚注

著書

関連項目

外部リンク

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