目黒護國神社
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創建
1941年(昭和16年)3月に創建された。台湾日日新報社長だった守屋善兵衛(1930年没)の遺族より、目黒区に対して宅地と居宅の一部を寄贈する申し出があり、その際に「忠霊を祀る神社を建設すること等」という条件があったので、当時の目黒区は公費で神社を創建した[1][2]。
第二次世界大戦後、日本国憲法の施行により、目黒区が神社を運営することができなくなったため(政教分離原則)、戦没者遺族が管理することになった。1958年(昭和33年)7月、目黒区立守屋図書館の改築にあたり神社を敷地内(五本木庚申塔[3]の隣接地)に移転した[1]。1959年(昭和34年)10月に「目黒護國神社崇敬会」が設立され、目黒区と土地賃貸借契約(敷地面積198.50m2)を結ぶことになった[1]。
廃社
ところが、2000年(平成12年)以降、管理者をしていた崇敬会の役員が死去したことにより、崇敬会の活動が休止した。目黒区に払う地代も滞納するようになり、御魂であった戦没者名簿も行方不明となった[2]。
2005年度(平成17年度)の目黒区の包括外部監査で、単に政教分離上の問題だけでなく、建物が老朽化しており安全面でも問題があるとの指摘を受けた[1]。
2008年(平成20年)7月、隣接する旧目黒区守屋教育会館の解体に伴い撤去された。他神社への合祀や他団体の管理も模索されたというが、折り合いがつかず結局断念することになった[2]。
なお、目黒護國神社の跡地には防災備蓄倉庫が、旧目黒区守屋教育会館の跡地には私立保育園(旧目黒区立上目黒保育園の移転民営化[4])が建てられた(目黒区立守屋図書館が南側にある)。
