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眞中幹夫

日本のサッカー選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

眞中 幹夫(まなか みきお、1969年5月22日 - )は、茨城県坂東市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。同じく元サッカー選手の眞中靖夫は実弟。

カタカナ マナカ ミキオ
ラテン文字 MANAKA Mikio
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1969-05-22) 1969年5月22日(57歳)
概要 眞中 幹夫, 名前 ...
眞中 幹夫
名前
カタカナ マナカ ミキオ
ラテン文字 MANAKA Mikio
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1969-05-22) 1969年5月22日(57歳)
出身地 茨城県坂東市
身長 171cm
体重 68kg
選手情報
ポジション DF
ユース
1985-1987 日本の旗 境高校
1988-1991 日本の旗 茨城大学
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1992-1996 日本の旗 ジェフユナイテッド市原 101 (0)
1997 日本の旗 ブランメル仙台 4 (0)
1998 日本の旗 大宮アルディージャ 22 (0)
1999-2004 日本の旗 横浜FC 103 (4)
通算 230 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。
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経歴

茨城大学卒業後の1992年、テストを受けてジェフユナイテッド市原に加入[1]。5シーズン在籍し、Jリーグで101試合に出場した。

1997年、ジャパンフットボールリーグ(JFL)のブランメル仙台に移籍[1]。1998年、大宮アルディージャに移籍[1]。

現役引退を考えていたところ、市原時代のチームメイトであるピエール・リトバルスキーに誘われ、彼が監督を務める横浜FCに加入[1]。1999年から2シーズン連続で日本フットボールリーグ(JFL)に優勝し、2000年のJFLではベストイレブンに選出された。

2001年3月17日のベガルタ仙台戦にて、横浜FCのJリーグ初ゴールをあげた[2]。右足前十字靭帯を断裂し[1]、同シーズン限りでクラブと契約満了[3]。横浜FCの育成組織でコーチをしつつ現役復帰に向けたリハビリに取り組み[1][4]、2002年6月に再び横浜FCと契約[5]。2004年11月24日、同シーズンをもって現役を引退することを発表した[6]。

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1992市原-J-0000
199360101080
19942700020290
1995480-10490
199620014010350
1997B仙台5旧JFL40302090
1998大宮4220-00220
1999横浜FCJFL160-20180
2000191-20211
2001J21713000201
200225190-10200
20034282-00282
200440-0040
通算日本J1 1010150501210
日本J2 6833010723
日本JFL 351-40391
日本旧JFL 2603020310
総通算 23042101202634
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指導歴

脚注

関連項目

外部リンク

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