真土大塚山古墳
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| 真土大塚山古墳 | |
|---|---|
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再現墳丘(真土大塚山公園内) | |
| 所在地 | 神奈川県平塚市真土字十四ノ域 |
| 位置 | 北緯35度21分31.4秒 東経139度20分54.8秒 / 北緯35.358722度 東経139.348556度座標: 北緯35度21分31.4秒 東経139度20分54.8秒 / 北緯35.358722度 東経139.348556度 |
| 形状 | 双方中円墳/前方後円墳/前方後方墳 |
| 規模 | 不明 |
| 埋葬施設 | 木棺直葬・粘土槨 |
| 出土品 | 三角縁神獣鏡ほか副葬品多数 |
| 築造時期 | 3世紀末-4世紀中頃(または4世紀後半) |
| 被葬者 | (一説)相武国造一族[1] |
| 史跡 | なし |
| 有形文化財 | 出土資料(平塚市指定重要文化財) |
| 地図 | |
真土大塚山古墳(しんどおおつかやまこふん)は、神奈川県平塚市真土にあった古墳。出土資料は平塚市指定重要文化財に指定されている。現在では墳丘は失われている。
立地
構造
真土大塚山古墳は2度に渡り発掘調査が行われ、墳丘の測量調査と埋葬施設の調査が行われたが、墳丘にトレンチを入れるなどの墳丘本体の調査は実施されなかった。測量調査の結果、双方中円墳説、前方後円墳説の両説が出され、後に調査結果を詳細に再検討した研究者から、前方後方墳説が出されたが、実際の墳丘がどのような形であったのか、調査されることもなく消滅してしまい、今となっては真土大塚山古墳が実際にどのような形をしていたのか、知ることができなくなってしまった。
葺石については、1960年の発掘時に、墳頂部から握りこぶしの石が見つかったため、存在したとの説もあるが、1936年の調査では全く葺石については言及されていないこともあって確実性に欠ける。段築については不明で、埴輪の出土はなく、周濠も存在しない。
埋葬施設は墳丘中央部の地表下75~80センチメートルのところに粘土槨、そして1.3メートル付近には木棺直葬がされていたと見られている。
出土品
木棺直葬の主体部から出土品としては戦前の発掘時に三角縁神獣鏡、管玉・巴形銅器、銅器2、多数の銅鏃39、鉄斧2、剣の破片1、刀の破片1、土器の破片であった。三角縁神獣鏡は京都府の椿井大塚山古墳で出土したものと同笵鏡で、土器片は弥生時代末から古墳時代初頭にかけてのものとみられている。
粘土槨から戦後の発掘時には変形四獣鏡1、水晶製勾玉1、水晶製算盤玉2、ガラス玉150、銅鏃1、銅鐸3、槍鉋(やりがんな)1、土器片が出土した。やはり土器片は弥生時代末から古墳時代初頭のものと見られている。
戦前の出土品はそのほとんどが東京国立博物館に、戦後の出土品は平塚市博物館に所蔵されている。
- 銅鏃
東京国立博物館蔵、松戸市立博物館企画展示時に撮影。
特徴
文化財
平塚市指定文化財
- 重要文化財(有形文化財)
- 変形四獣鏡他 真土大塚山古墳出土資料 一括(考古資料) - 2010年(平成22年)2月1日指定[4]。