真理明美

日本の女優(1941−2017) From Wikipedia, the free encyclopedia

真理 明美(まり あけみ、1941年昭和16年〉5月4日 - 2017年平成29年〉8月8日)は、日本女優。本名は、須川 久美子 (旧姓:及川 )。岩手県盛岡市出身[1]。夫は映画監督須川栄三(1998年死別)。身長162cm、B86cm、W58cm、H88cm(1974年3月)[2]

本名 須川 久美子(旧姓:及川)
別名義 及川 久美子
生年月日 (1941-05-04) 1941年5月4日
没年月日 (2017-08-08) 2017年8月8日(76歳没)
概要 まり あけみ 真理 明美, 本名 ...
まり あけみ
真理 明美
本名 須川 久美子(旧姓:及川)
別名義 及川 久美子
生年月日 (1941-05-04) 1941年5月4日
没年月日 (2017-08-08) 2017年8月8日(76歳没)
出生地 日本の旗日本岩手県[[[盛岡市]]
死没地 日本の旗日本東京都世田谷区
職業 俳優
歌手
活動期間 1964年 - 2000年
活動内容 映画
演劇
テレビドラマなど
配偶者 須川栄三
(1969年−1998年死別)
主な作品
プレイガール
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人物

岩手県立花巻南高等学校卒業後、デパートガールを経て[1]松竹モンローのような女』のヒロインに募集し金的を射止め[1]1963年に松竹入社[1]。同作で主演デビューする[1]。松竹は映画のタイトルに合わせ、芸名を真理明美とし[1]、渡米させてマリリン・モンローの墓に詣でさせるなど鳴物入りの宣伝をしたが空振りに終わり、期待が大きかっただけにその反動で熱が冷めるのも早く、以降の作品は顔見せ程度の出演になった[1]。当時の松竹は"女性路線"を標榜し、新人女優を次々売り出したが、見切りも早かった[1]。黒澤プロダクションの助監督だった松江陽一との3年越しの恋にも破れ[1]1966年秋にひっそりと盛岡に帰郷した[1]

1968年以後は活動の拠点を映画からテレビへと移す。1969年、須川栄三と結婚[2]。同年より始まったドラマプレイガール』に初代メンバーとして出演し人気が出た。自身の作詞によるレコードも出している。しかし、撮影の多忙さと主婦業の仕事のため腎臓を患い1年で番組を降板する。回復後も時々『プレイガール』に出演している。須川との間に二児をもうけ、夫君の監督作1974年の『野獣死すべし 復讐のメカニック』で5年ぶりにカムバック[2]。上半身になり、藤岡弘との濡れ場も披露した[2]。真理は「ご時世でしょう。どうせカムバックするなら、これくらい強烈な演技が必要と思ったのよ。脱ぐことには別に抵抗はないわ」と話した[2]

日本人のへそ』(1977年ATG)ではスタッフとしてのクレジットがある。

2000年黒木和雄監督の映画『スリ』に久々に出演した。

2017年8月8日午前10時50分、肝細胞がんのため東京都世田谷区の自宅で死去。76歳没。葬儀は近親者で営んだ[3]

音楽

シングル

さらに見る 発売日, 面 ...
発売日タイトル作詞家作曲家編曲家レコード会社番号
1968年10月A面忘れたいの及川久美子鈴木淳森岡賢一郎テイチクSN-701
B面タバコの匂い有馬三恵子
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  • A面曲である『忘れたいの』は、本名である及川久美子名義で本人が作詞している。

作詞

  • 「愛が見えますか」(テレビドラマ「愛が見えますか…」主題歌、作曲:大野雄二、歌:真木悠子)※未商品化

出演作品

映画

  • モンローのような女(1964年)
  • 太陽を抱く女(1964年)
  • 孤独(1964年)
  • 明日の夢があふれてる(1964年)
  • 青雲やくざ(1965年)
  • 求婚旅行(1965年)
  • 大悪党作戦(1966年)
  • 男の顔は履歴書(1966年)
  • 網走番外地・悪への挑戦(1967年)
  • 錆びたペンダント(1967年)
  • 黄金の野郎ども(1967年)
  • 忍びの卍(1968年)
  • 夜の手配師(1968年)
  • 野獣死すべし・復讐のメカニック(1974年)
  • チーちゃんごめんね(1984年)
  • スリ(2000年) - *キネマ旬報ベストテン第7位

テレビドラマ

吹き替え

脚注

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