真観寺 (八尾市)
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位置
北緯34度37分11.15秒 東経135度34分32.3秒 / 北緯34.6197639度 東経135.575639度座標: 北緯34度37分11.15秒 東経135度34分32.3秒 / 北緯34.6197639度 東経135.575639度
宗派
臨済宗南禅寺派
| 真観寺 | |
|---|---|
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真観寺の本堂 | |
| 所在地 | 大阪府八尾市北亀井町2丁目[1][2] |
| 位置 | 北緯34度37分11.15秒 東経135度34分32.3秒 / 北緯34.6197639度 東経135.575639度座標: 北緯34度37分11.15秒 東経135度34分32.3秒 / 北緯34.6197639度 東経135.575639度 |
| 宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
| 本尊 | 十一面観音[2] |
| 創建年 | 応永17–21年(1410–1414年) |
| 開山 | 大業徳基 |
| 開基 | 畠山満家 |
| 正式名 | 萬松山真観護国禅寺[1] |
| 文化財 | 真観寺文書、三好長慶墓・三好義継墓(市指定文化財) |
| 法人番号 | 3122005002205 |
応永17年(1410年)から21年(1414年)の間に創建された[1]。開基は河内守護・畠山満家で、開山は大業徳基[1][2]。大業徳基は初め建仁寺、のち応永17年(1410年)に南禅寺に入寺しており、応永21年(1414年)に死去している[1]。大業徳基は南禅寺金地院の開山でもあり、このことから金地院の長老が真観寺の住職を務めることとなった[1]。
永享5年(1433年)[2]に畠山満家が死去すると満家には真観寺殿真源道端の法号が贈られ、真観寺は満家の位牌所とされる[1]。また、寺内の塔頭・鄧林庵(とりんあん)は河内守護代・遊佐氏の菩提寺となっている[1]。
永禄9年(1566年)6月には、永禄7年(1564年)7月に死去した三好長慶の葬儀が、甥の三好義継により真観寺で行われた[3]。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の際、真観寺の伽藍は焼け落ちたが、以心崇伝の主導で再興が図られ、徳川家康から復興料が与えられた[1]。慶安2年(1649年)には朱印地19石8斗が認められた[1]。