石川隆彦 From Wikipedia, the free encyclopedia ラテン文字 Takahiko Ishikawa国籍 日本出生地 香川県三豊郡神田村(現・三豊市)生年月日 (1917-05-15) 1917年5月15日 石川隆彦 1949年全日本選手権で木村政彦(右)と同時優勝基本情報ラテン文字 Takahiko Ishikawa国籍 日本出生地 香川県三豊郡神田村(現・三豊市)生年月日 (1917-05-15) 1917年5月15日没年月日 (2008-06-09) 2008年6月9日(91歳没)選手情報階級 男子段位 九段 2013年12月19日現在テンプレートを表示 石川 隆彦(いしかわ たかひこ、1917年〈大正6年〉5月15日 - 2008年〈平成20年〉6月9日)は日本の柔道家(講道館9段)。 戦前から戦後にかけて昭和天覧試合準優勝、第2回・第3回全日本選手権優勝等の成績を残し、晩年は米国で柔道普及を行った。身長175cm、体重82kg。 柔術無双流の免許皆伝者であり当時講道館柔道3段[注釈 1]の石川文八を父として、香川県三豊郡神田村(現・三豊市)に生まれる[1]。父が飛島組の土木技師であったため長野県に転居し[1]、そこで入学した長野県飯山中学の在学中に3段まで取得[2]。日本大学・国士舘専門学校で修業し、国士舘では主将を務めた[1]。5段位で卒業するとすぐに国士舘専門学校の助教授に就任し、1940年の紀元二千六百年奉祝天覧武道大会では事実上の日本一決定戦となる指定選士の部に出場して木村政彦と決勝を争ったが、緊張で固くなった石川は一方的に攻められて完敗を喫した[1]。 打倒・木村を掲げて修行に励んだ石川は大外刈や一本背負投、内股等の立ち技に一層の磨きをかけたほか、世に“常胤流”と知られた小田常胤9段に寝技を学び[1]、日中戦争の終戦に伴い満州からの引き上げ後は警視庁の柔道師範となった[2]。 1949年の全日本選手権では、1回戦で二瓶英雄5段、2回戦で山本博6段、3回戦で醍醐敏郎5段を破り、決勝戦で宿敵・木村政彦との再戦となったが決着がつかず激闘の末に2人同時優勝となった。優勝旗は木村の取り計らいにより石川が持ち帰った[3]。同年7段に昇段。 天覧試合の雪辱を誓い翌1950年大会に出場するも、プロ柔道に転向した木村は出場せず、石川は「借りを返せなくなった」と失望落胆したという[1]。試合は1回戦で戸高清光6段、2回戦で阿部謙四郎7段、3回戦で松本安市6段、準決勝戦で醍醐敏郎6段を破り、決勝戦では広瀬巌7段を判定で下して連覇を果たした。 その後も1951年3位、1952年準優勝、1953年3位と好成績を修め、当時の柔道界において確固たる地位を築く。 1954年に警視庁を退職すると米国に移住し、南北アメリカ大陸を縦断しての柔道普及活動を計画。道中にキューバ革命が発生すると米国に戻り、フィラデルフィアやバージニアビーチに石川道場(Ishikawa Judo School)を開き、“Sensei Ishikawa”として多くの門人に囲まれた[1]。1963年に8段を許され、1984年の講道館創立100周年記念に際して9段へ昇段[4][注釈 2]。9段昇段に際しては「日本を出て30年が経ち色々と苦労もあったが、日本・外地の人々と昇段の喜びを共にしたい」と述べると共に、当時の国際試合規定について「本来の柔道を損なう」「要改正」と警鐘を鳴らしている[4]。 その後、健康上の理由から親戚の住む横浜市へと移り、柔道とは無縁の生活を送った[2]。趣味である囲碁は6段の腕前で、余暇は無料で弟子の養成をしていたという[1][注釈 3] 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ のちに6段まで昇段。 ↑ この時に昇段したのは10段に小谷澄之1人、9段は石川のほか牛島辰熊、新原勇、姿節雄、西田亀、山本秀雄、山本博等41人と、異例とも言える多人数での同時昇段であった。 ↑ 米国時代の弟子たちが動画サイトYouTubeに投稿した映像では、碁盤の前で柔道衣のまま笑みを浮かべる石川の写真が紹介されている。Ishikawa Takahiko Sensei 1976 - YouTube 出典 1 2 3 4 5 6 7 8 くろだたけし (1980年1月20日). “名選手ものがたり3 -8段 石川隆彦の巻-”. 近代柔道(1980年1月号)、67頁 (ベースボール・マガジン社) 1 2 3 講道館編輯部 (2008年8月1日). “石川隆彦先生のご逝去を悼む”. 機関紙「柔道」(2008年8月号)、88頁 (財団法人講道館) ↑ 木村政彦 (1985年1月). わが柔道 (ベースボール・マガジン社) {{cite news}}: |title=は必須です。 (説明)⚠ 1 2 “講道館百周年記念昇段者及び新十段・九段のことば”. 機関誌「柔道」(1984年6月号)、47-48頁 (財団法人講道館). (1984年6月1日) 表話編歴全日本柔道選手権大会優勝者1940年代 1948 松本安市 1949 木村政彦, 石川隆彦 1950年代 1950 石川隆彦 1951 醍醐敏郎 1952 吉松義彦 1953 吉松義彦 1954 醍醐敏郎 1955 吉松義彦 1956 (中止) 1957 夏井昇吉 1958 曽根康治 1959 猪熊功 1960年代 1960 神永昭夫 1961 神永昭夫 1962 竹内善徳 1963 猪熊功 1964 神永昭夫 1965 坂口征二 1966 松永満雄 1967 岡野功 1968 松阪猛 1969 岡野功 1970年代 1970 篠巻政利 1971 岩釣兼生 1972 関根忍 1973 上村春樹 1974 佐藤宣践 1975 上村春樹 1976 遠藤純男 1977 山下泰裕 1978 山下泰裕 1979 山下泰裕 1980年代 1980 山下泰裕 1981 山下泰裕 1982 山下泰裕 1983 山下泰裕 1984 山下泰裕 1985 山下泰裕 1986 正木嘉美 1987 正木嘉美 1988 斉藤仁 1989 小川直也 1990年代 1990 小川直也 1991 小川直也 1992 小川直也 1993 小川直也 1994 金野潤 1995 小川直也 1996 小川直也 1997 金野潤 1998 篠原信一 1999 篠原信一 2000年代 2000 篠原信一 2001 井上康生 2002 井上康生 2003 井上康生 2004 鈴木桂治 2005 鈴木桂治 2006 石井慧 2007 鈴木桂治 2008 石井慧 2009 穴井隆将 2010年代 2010 高橋和彦 2011 鈴木桂治 2012 加藤博剛 2013 穴井隆将 2014 王子谷剛志 2015 原沢久喜 2016 王子谷剛志 2017 王子谷剛志 2018 原沢久喜 2019 ウルフアロン 2020年代 2020 羽賀龍之介 2021 太田彪雅 2022 斉藤立 2023 王子谷剛志 2024 中野寛太 2025 香川大吾 皇后盃全日本女子柔道選手権大会優勝者 Related Articles