五高から東大にかけて有名な端艇の選手だった[1]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[2]。住所は島根県簸川郡平田町新町[6](のちの平田市、現・出雲市)。
同期の永尾策郎は代議士として中央に進出するよう石橋にすすめたが、石橋は「一生地方の有志として郷党のために尽くす」という強い信念に生きた[1]。『島根県案内誌』によると、石橋の人柄は「性磊落にして鋭敏、容貌魁偉、些かの虚飾なく頗る天真爛漫である。平生寡黙多くを語らざるも機に触れば談論風発その尽くるところを知らず。」という[3]。
石橋の死後16年を経て郷土の人々が石橋を想い、敬慕の念をもって銅像を立てた[1]。