砂利船汚職事件

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砂利船汚職事件(じゃりせんおしょくじけん)とは1988年昭和63年)1月に発覚した汚職事件[1]

1985年(昭和60年)2月2日公明党田代富士男参議院議員は全国砂利石材転用船組合連合会(全自連[2])幹部4人から砂利船の転用に関連する質問で業界に有利な答弁を引き出すための質問主意書を内閣に提出するよう請託を受けた[2]。また、5月7日にも全自連幹部4人から同じ内容の請託を受け、幹部の1人から「一番効き目があるのは国会質問。頼みます」と強く懇願されたため、田代は「私としても最善を尽くし、効果のある質問書にしたい」と請託を引き受けた[2]。この見返りとして田代は1000万円を受け取った[2]

1988年(昭和63年)1月18日大阪地検特捜部は全自連の資金が田代の政界工作に流用されていたことを掴んだため、大阪市内の病院に入院していた田代を受託収賄容疑で取り調べを開始した[1]。同日、田代は所属政党の公明党に離党届を提出した上で藤田正明参議院議長に議員辞職願を提出した[3]。その後、1月25日の参議院本会議で田代が提出した辞職願の許可が議決されたため、田代は失職した[4]

1月30日、大阪地検特捜部は田代を受託収賄罪、全自連幹部4人を贈賄罪横領罪及び業務上横領罪で起訴した[5][6]

事件後の動向

1988年(昭和63年)2月28日、田代の辞職に伴う参議院補欠選挙大阪府選挙区)が行われ、日本共産党吉井英勝自民党社会党の候補を破って当選した[7]

刑事裁判

1988年(昭和63年)7月18日大阪地裁(高橋金次郎裁判長)で初公判が開かれ、罪状認否で田代は1000万円を授受したことを認めた上で「政治活動資金としての献金だった」と述べて賄賂性や2回の請託を否定、無罪を主張した[2][6]。全自連幹部4人も「政治献金だった」と述べて無罪を主張した[2]。冒頭陳述で検察官は、田代がミナミの料亭で1000万円を授受した際の様子を詳細に再現した上で全自連幹部4人のメモや検察官面前調書など250点を証拠申請した[6]。また、全自連幹部による業務上横領事件が発覚した後、田代が授受した1000万円を政治献金にカモフラージュするための証拠隠滅工作に及んでいたことを指摘した[6]

1991年平成3年)10月1日論告求刑公判が開かれ、検察官は「国会質問が金で買われ、行政が賄賂で左右されるとの危惧を国民に抱かせて政治に対する国民の信頼を大きく裏切り、刑事責任は極めて重大」として田代に懲役3年・追徴金1000万円、全自連幹部4人に懲役2年から4年を求刑した[8]

1991年(平成3年)11月21日、田代の弁護人は最終弁論で「請託を受けたことはない。1000万円は賄賂でなく、政治献金だった」と改めて無罪を主張した[9]

1991年(平成3年)11月28日、全自連幹部4人の弁護人は最終弁論で「1000万円は国会質問の謝礼ではなく、政治献金だ」と述べて改めて賄賂性と請託を否定、無罪を主張した[10][11]。最終意見陳述で田代は「私の言いたいことは弁護士が言い尽くしてくれた。加えて申し上げることはありません」と述べた[11]。全自連幹部4人は「犯意がなかった」と改めて無罪を主張し、結審した[10]

1992年(平成4年)2月25日、大阪地裁(高橋金次郎裁判長)で判決公判が開かれ、田代に懲役2年6月・追徴金1000万円、執行猶予3年、全自連幹部4人に懲役1年2月から3年・執行猶予3年の有罪判決を言い渡した[12][13]。この判決に対して田代と全自連幹部4人は控訴を断念したため、有罪判決が確定した[14]

脚注

関連項目

外部リンク

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