ミナミ
大阪府大阪市にある繁華街
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概要

ミナミは、島之内(東心斎橋・宗右衛門町・心斎橋筋・西心斎橋)・道頓堀・千日前・難波(難波千日前・難波中)といった地域に広がる繁華街の総称である。歓楽街の東心斎橋南部・宗右衛門町、御堂筋を中心に老舗百貨店の大丸やファッションビルのPARCO、さらにラグジュアリーブランドの路面店が立ち並ぶ高級繁華街の心斎橋、近畿地方随一の若者の街として知られるアメリカ村(アメ村)を包含する西心斎橋、雑多な雰囲気を持ち、大阪グルメを中心とした飲食店が多数集積する道頓堀・千日前・難波千日前、髙島屋・なんばCITY・なんばパークスなどターミナル駅直結の大型商業施設が立地する難波南部の浪速区難波中など、同じミナミでもエリアによって雰囲気や性格が異なる。
これらの地域が大阪市の旧来からの中心業務地区(CBD)である船場地区の南側に位置することや、大半がかつて存在した南区の区域に当たることからミナミと呼ばれている[3]。
一般的に道頓堀通を東西基軸、心斎橋筋(戎橋以南は戎橋筋)を南北基軸として、北は心斎橋駅が位置する長堀通、南は南海難波駅、西は西横堀川(現在は埋立、阪神高速1号環状線北行き)もしくは四つ橋筋、東は堺筋までを指すことが多い。ミナミという用語はメディアや行政などでも用いられる機会が多いが、キタと同様に具体的に明確な地理的範囲の定義があるわけではない。繁華街は、長堀通以北の南船場、西横堀川以西の堀江(西区北堀江・南堀江)、堺筋以東の黒門市場および堺筋沿いのでんでんタウン(浪速区日本橋)とも隣接しており、最も広範に捉えた場合には西区にもまたがることになる。またミナミというと雑多な繁華街のイメージをもたれるため、高級繁華街としてブランドイメージのある心斎橋をミナミに含めないこともある。難波や道頓堀を中核としたエリアであるが、人によってミナミの指し示す範囲が多少異なることがある。
また、大阪商工会議所等では狭義のミナミエリア(上述)に新世界(新今宮駅周辺)や上本町から天王寺・阿倍野エリアを起点に、大和川以南(泉州・南河内)の各市町村を含めた地域を「グレーターミナミ(大ミナミ)」と位置づけている[4]。
以前は客引きが多く、2004年10月時点で客引きが約260人いたが、改正迷惑防止条例が2005年12月1日に施行されてから、数人たらずと一桁台にまで激減した。また2006年2月1日からは、繁華街などに存在する「無料案内所」の派手な看板・写真などを規制する全国初の風俗案内所規制条例が施行されるなど、買い物がよりしやすくなった。南海難波駅が関西国際空港へ直接アクセスできることから、2015年頃からはインバウンドによる外国人観光客が急増し、とりわけアジアからの観光客が多く見られるようになった。これに対し、地元財界や地元商店では、外国人店員の配置や、看板・メニュー等の多言語化などを推進。また、道頓堀の巨大看板やグリコマンサインなどはアジアで広く知れ渡るようになり、ミナミは国際繁華街として賑わいをみせている。
歴史
江戸時代初期、道頓堀に芝居小屋ができると、対岸の島之内南部には遊里が出来、この遊里がミナミと呼ばれた。その後、各所に点在していた遊里は下船場の新町遊廓に統合された。しかし、以降も島之内南端の宗右衛門町、道頓堀の九郎衛門町と櫓町、その南東の坂町、同じく南西の難波新地などに続々と遊里ができ、これらは総じて「南地五花街」と称された。
船場と道頓堀に挟まれた島之内は、北部は職人町として船場とともに城下の中枢を担ったが、色町となった南部は船場の商いどころに対して粋どころと呼ばれた。心斎橋筋は新町遊廓と道頓堀を結ぶ道路として発展し、小売店が立ち並ぶようになった。
近代以降、刑場や墓地であった千日前にも繁華街が広がり始め、湊町にも難波駅や湊町駅(現:JR難波駅)が開業すると一気に拡大した。
