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磯部 (つくば市)

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磯部(いそべ)は、茨城県つくば市地名郵便番号は300-4248。

概要 磯部, 国 ...
磯部
磯部の位置(茨城県内)
磯部
磯部
磯部の位置
北緯36度11分19.64秒 東経140度3分37.04秒
日本の旗 日本
都道府県 茨城県
市町村 つくば市
人口
2017年(平成29年)8月1日現在)[1]
  合計 143人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
300-4248
市外局番 029[2]
ナンバープレート つくば
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地理

つくば市北西部に位置する。桜川が作る沖積地と筑波台地から成り[3]、前者に安森と磯部、後者に荒谷の集落がある[4]水田の広がる地域である[4]

東は田中、西は高野原新田、南は明石(あけし)、北は洞下(ほらげ)・池田と接する。

小字

歴史

安森坪にある安森遺跡からは、弥生時代土器須恵器土師器が見つかっている[3]室町時代文安元年(1444年)には、光栄という人物が書写した『法華玄義口伝抄』に「磯部」、翌・文安2年(1445年)の『法華文句口伝抄』に「磯部郷」の文字が見られる[3]。また、文禄4年7月16日[3]グレゴリオ暦1595年8月31日)の『中務大輔当知行目録』に「百九拾四石七斗三升六合 いそへ」とあり、佐竹義久の領地であったことが分かる[5]

江戸時代には常陸国筑波郡に属し、磯部村(磯辺村とも表記)と称した。初めは佐竹氏領であったが、慶長8年(1603年)から小張藩領 、元和2年(1616年)から天領寛永2年(1625年)からは旗本本多氏領と変遷した[3]。村高は寛永2年(1625年)時点で294石余で、年貢は宗道河岸(現在の下妻市宗道)まで駄送りした[3]

明治時代大区小区制下の磯部村は、新治県治下の1872年明治5年)に第二大区第三小区に、茨城県治下の1875年(明治8年)5月には第十一大区第六小区に組み込まれた[6]1878年(明治11年)7月に郡区町村編制法が公布されると、磯部村は上菅間村連合村に、1884年(明治17年)には中菅間村連合村に加わった[6]町村制の施行以降は、所属市町村名を変えながら大字として現在も存続している。

1906年(明治39年)には耕地整理事業認可の申請が茨城県に出され、1907年(明治40年)2月から着工した[7]。これは磯部だけでなく、池田・中菅間・田中まで及び、面積158町、総工費36,125円という菅間村を挙げての大事業で、1912年(明治45年)5月までかかった[8]。これにより、生産力が向上した一方、小作料の増大や村政の運営が不安定になるなどの課題を生んだ[9]

磯部は田んぼでメダカの生息する、つくば市では数少ない地域であった[10]。しかし、2002年(平成14年)中に水路コンクリートで固められることになったため、地元の特定非営利活動法人つくば環境フォーラムを中心に、磯部地区の溜め池やつくば市立筑波西中学校に設置されたビオトープでメダカの保護飼育が始まった[10]

沿革

  • 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、筑波郡菅間村大字磯部となる。
  • 1957年(昭和32年)7月1日 菅間村が筑波町に編入され、筑波郡筑波町大字磯部となる。
  • 1988年(昭和63年)1月31日 筑波町がつくば市に編入され、つくば市大字磯部となる。
  • 2002年(平成14年)11月1日 つくば市が稲敷郡茎崎町を編入。同時に公式な住所から「大字」表記がなくなり、つくば市磯部となる。

世帯数と人口

2017年(平成29年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

さらに見る 大字, 世帯数 ...
大字世帯数人口
磯部 54世帯 143人
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人口の変遷

総数 [戸数または世帯数: 、人口: ]

1828年文政11年)[3] 15戸
78人
1840年天保11年)[3] 17戸
76人
1891年(明治24年)[3] 21戸
175人
1980年(昭和55年)[4] 102世帯
480人
2010年(平成22年)[11] 50世帯
157人
2017年(平成29年)[1] 54世帯
143人

小・中学校の学区

市立中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]

さらに見る 番地, 義務教育学校 ...
番地義務教育学校
全域秀峰筑波義務教育学校
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交通

鉄道・バス
磯部を通る公共交通はない。
道路
つくば市道が通る。

施設

  • 医療法人坂入医院付属幸寿苑

史跡

出身著名人

脚注

参考文献

関連項目

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