福岡道雄

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福岡 道雄(ふくおか みちお、1936年2月4日[1] - 2023年11月15日)は、日本彫刻家。晩年は「つくらない彫刻家」を名乗っていた[2]

生い立ち

1936年、大阪府堺市に生まれる。幼少時に中華民国北平市(現:北京市)に渡り、終戦後に帰国[3]。中学2年まで滋賀県高島郡(現高島市海津で過ごした[4]。建築家を志し堺市立工業高等学校建築科に入学[5]。京都市立芸術大学の彫刻科を受験するが失敗したことから、デッサンをやり直すために、1955年に堺市立工業高等学校を卒業後、大阪市立美術研究所に入所した[4][5]。デッサンを学ぶために入所したものの、誤って彫刻室に入る[5]。大阪市立美術研究所では、今村輝久、保田龍門に師事[5][6]

彫刻家として

1958年の自身初の個展では、砂浜に石膏を流し込む技法を用いた独自の抽象彫刻を発表した[4][2]。その後も〈SAND[7][8]〉や〈奇跡の庭〉など、「彫刻らしさ」を疑うような初期の作品群を発表し、世間の注目を集めた[9]1959年、朝日新人展に出展[10]。1960年には、山口牧生増田正和村松達也らとともに、彫刻家集団「場」を結成し、複数の展覧会を開催する[11][12]。1960年代に入ると、1963年に美術批評家の中原祐介がキューレーターを務めた展覧会「不在の部屋」に参加するなど、「反芸術」的な傾向を強め、「反芸術」運動を代表する芸術家の一人として注目された[9][13]1970年代初頭には、空気(ため息)をモチーフにした、一連のピンク色のバルーン状の作品群〈ピンクバルーン[14]〉により、空気を彫刻素材として捉える試みを遂行した[15]。1980年代後半からは、黒いFRP素材の直方体の〈風景彫刻〉シリーズを制作した(本人はその黒い塊を「棺桶」と読んでいる[要出典][16]1990年代は、水面をモチーフに制作を行なった[要出典]。2005年の個展において、「最後の発表とする」と自身の制作活動の休止を宣言し、以後「つくらない彫刻家」としての姿勢を貫く[2][4][13]

2023年11月15日、死去。87歳没[17]

受賞歴

展覧会

主な展覧会を個展とグループ展に分けて示す[25][26][27][28][29][30]

個展

  • 1958年 - 白鳳画廊(大阪)にて初の個展[26]
  • 1977年 - 個展(ナビリオ画廊、ミラノ)
  • 1979年 - 「福岡道雄の世界[31]」(大阪府民ギャラリー、大阪)[5]
  • 1985年 - 個展(INAXギャラリー2、東京[32][注釈 1]
  • 1987年 - 個展(ギャラリー16、京都[33][34][35][5]
  • 1990年 - 個展(東京画廊、東京[36][37]
  • 1990年 - 個展(信濃橋画廊、大阪[38][注釈 2]
  • 1993年 - 個展(信濃橋画廊、大阪)
  • 1993年 - 個展(松村画廊、香川[39]
  • 1995年 - 個展(INAXギャラリー2、東京)
  • 1996年 - 個展(カサハラ画廊、大阪)
  • 1998年 - 個展(信濃橋画廊、大阪)
  • 1998年 - 個展(松村画廊、香川)
  • 1999年 - 個展(東京画廊、東京)
  • 2000年 - 「福岡道雄新作展 僕達は本当に怯えなくてもいいのでしょうか[40]」(伊丹市立美術館、兵庫)
  • 2001年 - 「福岡道雄展 ―何もすることがない ―[26]」(INAXギャラリー2、東京)
  • 2005年 - 「福岡道雄 笑うミミズ 怒る蚯蚓」(アートスペース虹、京都[41][注釈 3]
  • 2005年 - 「福岡道雄展 腐ったきんたま」(信濃橋画廊、大阪)
  • 2008年 - 「福岡道雄 水の表情」(滋賀県立近代美術館、滋賀)
  • 2008年 - 「兆 福岡道雄 '70年代から'80年代」(信濃橋画廊、大阪)
  • 2013年(11月11日 - 12月7日) - 「福岡道雄展 僕の顔[42]」(ギャラリーほそかわ、大阪[43]
  • 2016年(4月1日 - 4月28日) - 「福岡道雄展 ことばと文字-つくらない彫刻家のその後[44]」(ギャラリーほそかわ、大阪)
  • 2017年 - 「福岡道雄 つくらない彫刻家[45][46][47][48]」(国立国際美術館、大阪)
  • 2018年 - 「福岡道雄「黒一色の景観から」[49][50]」(ギャラリーヤマキファインアート、兵庫[51]
  • 2024年 - 「福岡道雄 静かな前衛」(さかい利晶の杜、大阪)

グループ展

  • 1959年 - 「朝日新人展」(高島屋、大阪)
  • 1960年 - 「『集団現代彫刻』第一回展」(西武デパート、東京)[5]
  • 1960年(5月22日 - 6月10日) - 「彫刻集団『場』野外展」(大阪城公園大手前広場、大阪)[12]
  • 1960年(11月27日 - 12月3日) - 「彫刻集団『場』展」(ナニワ画廊、大阪)[12]
  • 1962年 - 「『集団現代彫刻[52]』第三回展」に《何もすることがない》(1962年)を出展[16]
  • 1963年 - 「不在の部屋展[53]」(内科画廊、東京)
  • 1964年 - 「現代美術の動向-絵画と彫塑-[54]」(国立近代美術館京都分室、京都)
  • 1966年 - 「現代美術の新世代展[55]」(東京国立近代美術館、東京)
  • 1967年 - 「第2回 現代日本彫刻展[56]」(宇部市野外彫刻美術館、山口)に《Pink Balloon》を出品、同作でK氏賞を受賞[30]
  • 1968年 - 「第8回現代日本美術展」(東京都美術館、東京)
  • 1968年 - 「第一回神戸須磨離宮公園現代彫刻展[57]」に《オルデンバーグからの贈り物》(1968年)を出展[2][58]
  • 1969年 - 「現代世界美術・東と西の対話[59][60]」(東京国立近代美術館、東京)
  • 1969年 - 「第9回現代日本美術展」(東京都美術館、東京)[5]
  • 1970年 - 「20人の方法展[61]」(信濃橋画廊、大阪)
  • 1970年 - 「神戸須磨離宮公園第2回現代彫刻展[18]」(須磨離宮公園、兵庫)
  • 1971年 - 「第4回 現代日本彫刻展[19]」(宇部市野外彫刻美術館、山口)に《Apple》を出品し、同作が神戸須磨離宮公園賞を受賞[20]
  • 1972年 - 「現在美術の鳥瞰展[62]」(京都国立近代美術館、京都)
  • 1975年 - 「第2回彫刻の森美術館大賞展[63][64]」(彫刻の森美術館、神奈川)
  • 1976年(1月6日 - 1月25日) - 「アート・ナウ '76[65]」(兵庫県立近代美術館、兵庫)
  • 1980年 - 「アジア美術展『第2部 アジア現代美術展』[66][67][68][69][70][71][72]」(福岡市美術館、福岡)
  • 1981年 - 「アート・ナウ 1970-1980[65]」(兵庫県立近代美術館、兵庫)[73]
  • 1981年 - 「第16回サンパウロ・ビエンナーレ」(サンパウロ[74]
  • 1981年 - 「日本現代美術の動向展」(韓国文化藝術振興院朝鮮語版美術會館、ソウル[75][76][77][78]
  • 1981年 - 「1960年代現代美術の転換期展[79][80][81]」(東京国立近代美術館、東京)
  • 1982年 - 「第2回平行芸術展 不透明性をめぐって」(東京小原流会館1階ロビー、東京[82][73]
  • 1983年 - 「現代日本美術の展望 立体造形展[83]」(富山県立近代美術館、富山)
  • 1984年 - 「個のななつ パート1」(信濃橋画廊、大阪)[73]
  • 1984年 - 「ヒューマンドキュメンツ'84/'85-7[84]」(東京画廊、東京)
  • 1985年 - 「言葉展」(信濃橋画廊、大阪)[73]
  • 1985年 - 「現代彫刻の歩み 木の造形展[85]」(神奈川県民ホールギャラリー、神奈川)
  • 1985年 - 「彫刻の四人展[86]」(和歌山県立近代美術館、和歌山)
  • 1985年 - 「明日の美術館を求めて2 環境としてのイメージ展[87][88]」(兵庫県立近代美術館、兵庫)
  • 1986年(10月5日 - 12月14日) - 「現代の『白と黒』[89][90][91]」(埼玉県立近代美術館、埼玉)
  • 1986年 - 「神戸現代アートフェスティバル86」(ギャラリーさんちか、兵庫)[73]
  • 1988年 - 「手で見る美術展[92]」(有楽町アートフォーラム、東京)[73]
  • 1988年 - 「11人の作家による現代美術の1988年展」(何必館・京都現代美術館、京都[93]
  • 1989年(2月3日 - 3月21日) - 「地・間・余白 今日の表現から[89][94]」(埼玉県立近代美術館、埼玉)
  • 1991年(10月10日 - 12月1日) - 「芸術と日常―反芸術/汎芸術[95][96]」(国立国際美術館、大阪)
  • 1992年 - 「国際野外彫刻展」(東京)
  • 1994年 - 「彫刻家の素描展」(旭川市彫刻美術館、北海道)
  • 1995年 - 「30周年記念-20人の方法展」(信濃橋画廊、大阪)
  • 1996年 - 「日本の現代美術50人展<21世紀への予感>」(大阪ナビオ美術館、大阪)
  • 1997年 - 「国立国際美術館の20年」(国立国際美術館、大阪)
  • 2009年(7月18日 - 8月30日) - 「おもろいやつら-人間像で見る関西の美術」(徳島県立近代美術館、徳島)[97]
  • 2012年 - 「言葉と美術が繋ぐもの-中原佑介へのオマージュ[98]」(ギャラリーヤマキファインアート、兵庫)
  • 2013年(4月4日 - 5月19日) - 「たまもの 埼玉県立近代美術館大コレクション展[99]」(埼玉県立近代美術館、埼玉)[100]
  • 2014年 - 「ヨコハマトリエンナーレ2014」(横浜美術館、神奈川)に6作品を出品[101]
  • 2019年 - 「アートバーゼル香港2019[102]」(ブース:ギャラリーヤマキファインアート)[103]

語録

  • 「ただひたすら、「反」という文字を頭に彫刻を作ってきたような気がする。それは反抗の「反」であり、反対の「反」であり、また反省の「反」でもあったわけだ・・・。」[104]

主なパブリックコレクション

2017年現在、福岡道雄の作品を収蔵する主な施設、団体を示す[27]

美術館

公園

  • 神戸須磨離宮公園野外美術館 - 《APPLE》(1971)[20]がおべんとう広場に設置されている[109]
  • 滋賀県立陶芸の森
  • 大阪府営服部緑地 - 東中央広場に《白昼夢》が設置されている[110]

自治体

  • 倉敷市 - 《朝 Daybreak》(1994年)が倉敷市内の水島臨海鉄道の高架側道の「くらしき 緑と水のアート回遊」の彫刻群の一つとして設置されている[5][111][112]
  • 堺市 - 《ピンクバルーン》を所蔵する[113][114][115]。また、《無題》が2007年に大阪信用金庫宿院支店前に設置された[116][117][注釈 4]
  • 宇部市 - 《飛び石》(1996)が小串通り・ANAクラウンプラザホテル宇部前交差点に設置されている[118]。FRPで製作したものをブロンズで型取りし直した作品[118]
  • 神戸市
  • 広島県瀬戸田町 - 1989年から行われた「瀬戸田ビエンナーレ」において設置された《飛石》が瀬戸田小学校中庭に設置されている[119][120][121]

その他

  • PL教団

参考文献

福岡道雄の著書

  • 福岡道雄『何もすることがない : 彫刻家は釣りにでる』ブレーンセンター、1990年。 NCID BN0503006X 
  • 福岡道雄『つくらない彫刻家』プレーンセンター、2012年10月。 

書籍

Web

関連文献

  • 荒木高子 著「白鳳画廊のこと」、和歌山県立近代美術館 編『現代の造形-土と布と糸:荒木高子・前川強・浜谷明夫展』和歌山県立近代美術館、1989年。 
  • 信濃橋画廊 編『信濃橋画廊 1965-1995』信濃橋画廊、1995年。 NCID BB25771726 
  • 福岡道雄(著)、国立国際美術館(編)「日記」『国立国際図書館月報』第101号、国立国際美術館、2001年2月、3頁、ISSN 2432-2113NCID AA11878293 
  • 国立国際美術館(編)「III 戦後日本の美術」『国立国際美術館所蔵作品選』、国立国際美術館、2004年、92頁、NCID BA70196454 
  • 岡部るい 著、国立国際美術館 編『国立国際美術館:所蔵作品選』国立国際美術館、2012年、126頁。 NCID BA70196454 
  • 平田洋一、福岡道雄、江上ゆか 著「対談「すっかり駄目になった僕たち」」、兵庫県立美術館 編『「信濃橋画廊」インタビュー集』兵庫県立美術館、2014年3月。 NCID BB15298982 
  • 中井康之 著「第5章:1970-79」、東京美術倶楽部 編『日本の20世紀美術』平凡社、2014年、345頁。ISBN 9784582206401 
  • 国立国際美術館(山梨俊夫、中井康之、武本彩子)監修 著、岡崎素子 編『国立国際美術館の名作』 4巻、国立美術館〈国立美術館ガイド〉、2019年4月。ISBN 9784416919750 

注釈

脚注

外部リンク

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