福島章太
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プロ入り前
6歳の頃から野球を始め[2]、備前市立片上小学校を経て備前市立備前中学校へ進学。中学時代は瀬戸内ボーイズでプレーした[2]。
岡山県立倉敷工業高等学校へ進学すると、1年時の秋にはエースナンバーを背負う程まで成長するも、2年時の春に左肘を疲労骨折してしまい、冬にクリーニング手術を受けた[2]。3年時は新型コロナウイルスの影響で甲子園が中止になったため、高校3年間での甲子園出場は叶わなかったものの、岡山県の独自大会や8月に開催されたプロ志望高校生合同練習会に参加した[3]。
2020年のプロ野球ドラフト会議では、中日ドラゴンズから4位指名を受け、11月19日に契約金3500万円、年俸550万円で仮契約を結んだ[4]。背番号は64[5]。
中日時代
2021年の春季キャンプは二軍スタート[6]。シーズン中に左肩を故障した[7]。オフの12月9日に怪我のリハビリのため育成選手として再契約した[8]。これに伴い背番号は209に変更される[9]。
2022年は、二軍で18試合に登板し、チーム2位の87回1/3を投げ、防御率5.36ながらチーム最多の6勝を記録。オフには投手陣の沖縄秋季キャンプに参加し、11月20日に支配下選手契約へ復帰することが発表された[10]。背番号は再び64[11]。
2023年8月10日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)でプロ初登板を果たし、1イニングを無失点に抑えた[12]。その後は4試合に登板するも防御率13.50と振るわず、同26日に出場選手登録を抹消された[13]。
2024年は一軍での登板機会はなく、同年10月29日、戦力外通告を受けた[14]。
中日退団後
中日退団後は、2024年11月14日に開催された12球団合同トライアウトに参加[15]。
2025年からは、故郷の岡山県美作市で活動する社会人野球クラブチームのショウワコーポレーションに入団し、プレーをする[15]。監督の亀澤恭平は福島について「彼には2年後にNPBに戻れるだけの素質が十二分にある。能力、性格ともにあと一歩成長すれば、NPBに戻せる自信がある」と言い切っている[16]。
2026年からは、同年から岡山市に発足した企業チーム・三協クリエイト硬式野球部に所属する[17]。
2025年8月をもってショウワコーポレーションの監督を退任した亀澤が、同年から三協クリエイトの監督に就任したことに伴う移籍で、福島の他にも複数名の選手が同様の移籍をしている。
選手としての特徴
人物
詳細情報
年度別投手成績
| 年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2023 | 中日 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 20 | 3.1 | 8 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 5 | 5 | 13.50 | 2.70 |
| 通算:1年 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 20 | 3.1 | 8 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 5 | 5 | 13.50 | 2.70 | |
- 2024年度シーズン終了時
年度別守備成績
| 年 度 | 球 団 | 投手 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
| 2023 | 中日 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 |
| 通算 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
- 2024年度シーズン終了時
記録
- 初記録
- 投手記録
- 初登板:2023年8月10日、対横浜DeNAベイスターズ17回戦(横浜スタジアム)、8回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:2023年8月18日、対東京ヤクルトスワローズ18回戦(明治神宮野球場)、8回裏に武岡龍世から空振り三振