秦舞陽

From Wikipedia, the free encyclopedia

秦 舞陽(秦武陽、しん ぶよう、拼音:Qín Wǔ-yáng、生没年不詳)は、中国戦国時代末期の刺客。燕の将軍秦開の孫[1]

中央上で伏せる者が秦舞陽。逃げる秦王政(左)と襲いかかる荊軻(右)。下は樊於期の首。(武氏祠

生涯

燕の勇士として知られていた。13歳の時に人を殺したことがあり、当時の人々は彼を畏れ、誰も面と向かって見ることができなかったという[2]。後に燕の太子丹が彼を探し出し、荊軻の副使に起用し、秦王政(後の始皇帝)暗殺の任務に就かせた。

紀元前227年咸陽の朝廷において秦王政に謁見した。秦舞陽は匕首が仕込まれた燕の督亢(肥沃な土地、現在の河北省保定市高碑店市を中心とする広い地域)の地図を献上する役目を担った。しかし階段下に至ると、恐怖から顔色が変わり震え始めた。不審に思った群臣が尋ねると、荊軻は秦舞陽を見て微笑み、「北方の蛮夷の田舎者で天子にお目にかかったことがないため、震え慄いているのです」と取り繕い、秦王政に命じられて荊軻が代わりに地図を献上した。その後、荊軻は作戦を実行して秦王政を狙ったが、その間に秦舞陽が何か行動したという記録はない。結局、暗殺は失敗して荊軻はその場で殺害された。

秦舞陽のその後については史書に記載が無く、不明である。

脚注

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI