稲垣正夫

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1935-08-19) 1935年8月19日
没年月日 (2015-04-06) 2015年4月6日(79歳没)
稲垣 正夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市鶴見区
生年月日 (1935-08-19) 1935年8月19日
没年月日 (2015-04-06) 2015年4月6日(79歳没)
身長
体重
178 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1957年
初出場 1957年
最終出場 1964年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

稲垣 正夫(いながき まさお、1935年8月19日 - 2015年4月6日[1])は、神奈川県横浜市鶴見区[2]出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手

鶴見高校では1年生から右翼手、三番打者として活躍。1951年夏の甲子園県予選決勝に進むが、希望ヶ丘高に完封を喫し、甲子園出場を逸する。同年秋季関東大会県予選では準々決勝で小田原高に敗退[2]。卒業後は千葉大学に進学。千葉県大学野球リーグでは1954年秋季リーグから5季連続優勝。

1957年東映フライヤーズに入団[2]浜田義雄松岡雅俊らと二塁手の定位置を争う。3年目の1959年にレギュラーポジションを獲得、同年は主に七番打者として71試合に先発出場。翌1960年は102試合に出場し、規定打席には届かなかったが自己最高となる打率.269を記録した。1961年外野手から転向したジャック・ラドラと併用され、1962年には新入団の青野修三に定位置を譲る。しかしシーズン後半には28試合に先発で起用され、同年のリーグ初優勝に貢献。阪神との日本シリーズでも3試合に二塁手として先発出場、日本一に力を添えた。1964年限りで現役を引退[2]

引退後は「コバチュウ」の社長を務める[2]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1957 東映 295749310101143211070092.204.304.286.589
1958 4211810410215102881142701126.202.259.269.528
1959 105265250205763481293312903367.228.263.324.587
1960 102331297328083210021135722104314.269.326.337.663
1961 9822921424521132751732201211416.243.286.350.637
1962 71139123142710234122162721170.220.267.276.544
1963 711551469256013490030412225.171.204.233.437
1964 17312637101113100040141.269.387.423.810
通算:8年 5351325120911527939101337710225132487141317231.231.281.312.593

背番号

  • 11 (1957年 - 1964年)

関連項目

脚注

外部リンク

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