竇常

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竇 常(とう じょう、746年 - 825年)は、唐代官僚は中行[1][2]本貫京兆府金城県[3]。弟は竇牟竇羣竇庠竇鞏

代宗朝の左拾遺の竇叔向の子として生まれた。同昌郡司馬の竇亶の孫にあたる[4][3]大暦14年(779年)、進士に及第し、広陵の柳楊に居住した。廬を結んで樹を植え、官位俸禄を求めなかった。講学と著述を仕事として、およそ20年間出仕しなかった。貞元14年(798年)、成徳軍節度使の王武俊が掌書記として召し出そうとしたが、竇常は就任しなかった。その年、杜佑が淮南節度使となると、竇常はその推挙により校書郎に任じられ、淮南節度参謀をつとめた。元和6年(811年)、湖南都団練判官から入朝して侍御史となり、水部員外郎に転じた。朗州刺史として出向し、夔州江州撫州の刺史を歴任した。入朝して国子監祭酒となり、致仕を求めた。宝暦元年(825年)、死去した。享年は70。越州都督の位を追贈された[1][2]

子に竇弘余があり、会昌年間に黄州刺史となった[1]

脚注

伝記資料

参考文献

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