立木神社
滋賀県草津市にある神社
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祭神
歴史
社伝によると、称徳天皇の時代である神護景雲元年(767年)に武甕槌命が常陸国(現・茨城県)の鹿島神宮より白鹿に乗って大和国(現・奈良県)の春日神社(現・春日大社)への勧請の旅の途中、当地に到着した。古来始めて旅立つ事を鹿島立ちというのはこの話によるものである。そこで、村人たちは黒木の新殿を造ると武甕槌命に斎祀した[3][4]。武甕槌命は持っていた柿の鞭を地面に刺して「この木が生え付くならば吾永く大和国三笠の山(現・春日大社)に鎮まらん」というと、柿の木が生成した。それを見た里人はこの木を崇めて社殿を建立し、武甕槌命を祀ると立木大明神と尊称し社名を立木神社と称したという。これが当社の始まりであるという[5][3]。春日大社とは兄弟の間柄となるが、春日大社の創建は神護慶雲2年(768年)となっており、当社が兄といえる[6]。
宝亀8年(777年)に大旱魃になった際、光仁天皇が中臣諸魚へ勅し当社に雨乞いの祈願をさせたところ見事に大雨が降ってきた。天皇はそのお礼として当社に新たな社殿を造営したが、この際に正一位の神階を授けたという話が残っている。さらに「立木大明神」の勅額を賜わったという[7][3]。また、延暦5年(786年)に桓武天皇より正一位の神階を授かったともいわれ[3]、弘治3年(1557年)に正一位を授かったとの記録も当社にはあり、神号はそれ以降に始まったとの説もある。
延暦20年(801年)に征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷征討に出陣した際当社に立ち寄り、道中安全と厄除開運を祈願して大般若経一部を寄進している[3]。
室町時代の長享元年(1487年)に室町幕府将軍足利義尚が、近江守護六角高頼を征伐するために栗太郡鈎に陣を敷いた(鈎の陣)時、当社に武運長久を祈願して四脚門(現・神門)を寄進している[3]。
江戸時代の正保2年(1645年)に膳所藩主石川忠総により社領23石が寄進され、境内摂社の造営も行われた[3]。以降、代々の膳所藩主より寄進が続けられた[4]。
当社は草津宿にあり、東海道と中山道の分岐点でもあるために大変な賑わいを見せた[3]。また参勤交代のおりに諸国の大名が草津宿を通過する際には必ず当社に道中安全を祈願し、結果、事故災難はなかったと伝えられている[3]。
1876年(明治9年)に村社に列格する。1881年(明治14年)には郷社に昇格する[3]。1938年(昭和13年)には神饌幣帛料供進社に指定されている[4]。
新聞学研究の先駆者小野秀雄は、第38代神主・秀円の長男として、1885年(明治18年)に当社神官の家で誕生している[3]。
境内
- 本殿 - 三間社流造。間口三間・奥行三間[3]。
- 中門
- 拝殿
- 弁天池
- 柿の木の御神木
- 社務所
- 道標(みちしるべ、草津市指定有形民俗文化財) - 延宝8年(1680年)11月造。県内最古の道標。京都壬生村・あしだの行者万宝院が伊勢神宮と京都の愛宕神社に7年間毎月参詣し、それを感謝した記念として建てられたもの。草津宿の東海道と中山道の分岐点にあったもの[3]。現在はこの道標が存在した場所には、文化13年(1816年)の東海道伊勢と中山道美濃の分岐点を表示する常夜灯の道標がある[8]。
- 神門 - 長享元年(1487年)建立[3]。
- ウラジロガシ(滋賀県指定天然記念物) - 境内にある御神木の一つ。鳥居の横にそびえ、推定樹齢400年とされている。平地でこの様な巨木が生育しているのは滋賀県下でも珍しく全国的にも最大級であるが、2010年(平成22年)にその寿命を迎えた[9][10]。
摂末社
- 五社 - 多賀大社、熊野神社、龍田神社、下鴨神社、上鴨神社[2]
- 七社 - 竹生島神社、愛宕神社、日吉神社、稲荷神社、廣田神社、八坂神社、大将軍神社[2]
- ゑびす神社
- 立木稲荷社[2]
- げんろく稲荷
- 松尾神社
- 天満宮社
- 天照皇大神宮
- 八幡神社
- 春日神社
- 立木弁財天社
- 神門
- 拝殿
- 本殿
- ゑびす神社
- 御神木(柿)
- 立木稲荷社
文化財
滋賀県指定天然記念物
- ウラジロガシ
草津市指定有形民俗文化財
- 石造道標
祭事
所在地
- 滋賀県草津市草津4丁目1-3