賀茂別雷神社
京都市北区にある神社
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概要
京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称される[1]。上賀茂神社からみて、下鴨神社は賀茂川沿いの約3キロメートル下流、高野川との合流部に位置する[1]。江戸幕府が両社を区別するため使い分けるよう要請し、Y字形に似たこの合流部が鴨の脚に似ているため、賀茂御祖神社は下「鴨」神社、賀茂別雷神社は上「賀茂」神社という異なる漢字を充てる通称が定着したという[1]。
賀茂社は奈良時代には既に強大な勢力を誇り[3]、平安遷都後は皇城の鎮護社として京都という都市の形成に深く関わってきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称「葵祭」)で有名である[1]。
社報『上賀茂』を年2回発行している。
祭神
- 主祭神 - 賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)
歴史
当社の創建については諸説ある。社伝によると神武天皇の代に神山(こうやま、賀茂山ともいう)の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える[2]。
『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で[4]、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は賀茂御祖神社(下鴨神社)に祀られている。天武天皇6年(677年)に山背国によって社殿が建立されたとする[2]。
六国史では、『続日本紀』文武天皇2年(698年)3月21日条、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出であり、7世紀末にはすでに賀茂祭が行われていたことがわかる[5]。民衆の祭への熱狂は朝廷にとって治安上の脅威となっていたが、天平10年(738年)頃より朝廷は賀茂社にも勅使を派遣し、奉幣を行うようになった。なお、賀茂祭が行われていたのは現在の上賀茂神社であり、下鴨神社が成立するのは天平末年(740年)から天平勝宝2年(750年)の間であるとされている[6]。
延暦13年(794年)の平安遷都後は、皇城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け[2]、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け[4]、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂別雷神社」として名神大社に列し、名神祭と月次祭、相嘗祭、新嘗祭の各祭で幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した[4]。
長元9年(1036年)に21年ごとに式年遷宮を行うよう定められる[4]。
建暦2年(1212年)に賀茂斎院の礼子内親王が退下すると、以後斎王は廃絶された[4]。
寛永5年(1628年)には後水尾天皇と皇后東福門院の願いによって、徳川秀忠により境内の一大整備が行われている[4]。
宝永5年(1708年)に内裏が災禍にあい、当社の細殿が東山天皇の行在所とされた[4]。
1871年(明治4年)、近代社格制度でも伊勢神宮に次いで、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに官幣大社の筆頭とされ[2][4]、1883年(明治16年)には勅祭社に定められた。
1934年(昭和9年)9月21日、室戸台風の暴風雨により土屋、食殿が倒壊する被害を受ける[7]。
1937年(昭和12年)11月16日に本殿遷座祭が行われ、勅使の派遣を受けた[8]。
1945年(昭和20年)、時局に応じて大東亜戦争完遂祈願祭を挙行。祭祀料を下賜される[9]。1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されている。
境内には明神川が流れ、境内の外の南側にはかつての社家町が残っている。また、境内の外の北側には、御阿礼祭の日に斎王が入ったという神館の跡とその周辺・御生野があったが、太平洋戦争後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によってその山で大規模に伐採が行われて日本で戦後最初の新築ゴルフコースである現在の京都ゴルフ倶楽部・上賀茂コースが作られ、現在でも営業されている。しかし、神館跡と御生野はコース内に取り込まれながらもなんとか残された。
境内
- 本殿(国宝) - 文久3年(1863年)再建。三間社流造。狩野派によって狛犬の絵「影狛」が描かれている[10]。
- 権殿(国宝) - 文久3年(1863年)再建。三間社流造。狩野派によって狛犬の絵「影狛」が描かれている[10]。
- 本殿権殿取合廊(重要文化財) - 文久3年(1863年)頃建立。
- 本殿東渡廊取合廊(重要文化財) - 文久3年(1863年)頃建立。
- 西渡廊(重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 東渡廊(重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 透廊(重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 渡廊(重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 塀中門(重要文化財) - 寛永5年(1628年)頃建立。
- 祝詞舎(重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 四脚中門(重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 御籍屋(重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 神宝庫(重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 唐門(重要文化財) - 寛永5年(1628年)頃建立。
- 唐門左右袖塀(重要文化財)
- 東御供所(重要文化財) - 寛永5年(1628年)頃建立。
- 直会所(重要文化財) - 寛永5年(1628年)頃建立。
- 楽所及び西御供所(重要文化財) - 寛永5年(1628年)頃建立。
- 幣殿(祈祷殿、重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 忌子殿(重要文化財) - 寛永5年(1628年)頃建立。
- 幣殿忌子殿取合廊(重要文化財) - 寛永5年(1628年)頃建立。
- 高倉殿(重要文化財) - 寛永5年(1628年)頃建立。
- 廻廊(重要文化財) - 寛永5年(1628年)頃建立。
- 楼門(重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 玉橋(重要文化財)
- 片岡橋(重要文化財) - 明治初年建立。
- 舞殿(橋殿、重要文化財) - 文久3年(1863年)建立。
- 拝殿(細殿、重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 土屋(到着殿、重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 楽屋(重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 渉渓園 - 曲水宴が催される庭園。摂社である賀茂山口神社の前にある。
- 祭器庫
- 憩の庭
- 神馬舎
- 外幣殿(馬場殿、重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 北神饌所(庁屋、重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。奈良神社拝殿の付属でもある。
- 倉庫 - 校倉造。
- 井戸舎
- 社務所
- 参集殿
- 客殿 - 勅使殿でもある。
- 境内
楽舎(手前)、細殿・橋殿・土舎(奥、左から) - 片岡橋
- 細殿(拝殿)
- 橋殿(舞殿)
- 細殿(手前)、橋殿(左)、土舎(奥)
- 立砂(たてずな)
- 外幣殿
- 庁屋(北神饌所)
摂末社
摂社
- 片山御子神社 - 祭神:玉依比売命。片岡社とも呼ばれる。式内社(大)「愛宕郡 片山御子神社」。第一摂社。天正19年(1591年)6月11日に朝廷より正一位の神位を授けられている[11]。
- 本殿(重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 拝殿(重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 新宮神社 - 祭神:高龗神。明治時代に独立するまで、式内社(名神大社)・貴船神社は当社の第二摂社であったが、山深い地にあり冬場には参拝が出来なかった。そのために当地にその分霊が祀られるようになった。これが新宮神社の始まりである。
- 本殿(重要文化財)寛永5年(1628年)建立。
- 拝殿(重要文化財)寛永5年(1628年)建立。
- 大田神社 - 祭神:天鈿女命。式内社「愛宕郡 太田神社(大田ではない)」。境外摂社で第三摂社。明治時代までは第四摂社であった。第二摂社であった貴船神社の独立により繰り上がった。大田神社は上賀茂神社よりも古い歴史を持っているが、上賀茂神社が創建されるとその摂社とされた[12]。
- 若宮神社 - 祭神:若宮神。
- 本殿(重要文化財) - 寛永5年(1628年)建立。
- 奈良神社 - 祭神:奈良刀自神。
- 賀茂山口神社 - 祭神:御歳神。式内社「愛宕郡 賀茂山口神社」。第五摂社。1877年(明治10年)までは第七摂社。
- 本殿
- 拝殿
- 久我神社 - 祭神:賀茂建角身命。式内社「愛宕郡 久我神社」。境外摂社で、第六摂社。1877年(明治10年)までは第八摂社。
- 須波神社 - 祭神:阿須波神・波比祇神・生井神・福井神・綱長井神。式内社「愛宕郡 須波神社」。
- 本殿(重要文化財)
末社
- 棚尾社 - 祭神:櫛石窓神、豊石窓神。
- 本殿(重要文化財)
- 川尾社 - 祭神:罔象女神。
- 橋本社 - 祭神:衣通姫神。
- 岩本社 - 祭神:底筒男神、中筒男神、表筒男神。
- 山尾社 - 祭神:大山津見神。
- 土師尾社 - 祭神:建玉依比古命。
- 本殿(重要文化財)
- 杉尾社 - 祭神:杉尾神。
- 本殿(重要文化財)
- 山森社 - 祭神:素盞嗚神、稲田姫命、田心姫命。
- 梶田社 - 祭神:瀬織津姫神。
- 小森社 - 祭神:水分神。
- 半木社 - 祭神:天太玉命。
- 土屋
- 楽屋
- 幣殿
- 高倉殿
- 四脚中門
- 末社棚尾社
- 摂社須波神社
- 摂社片岡神社拝殿
- 摂社新宮神社拝殿
主な祭事
文化財
国宝
- 本殿
- 権殿
重要文化財
建造物 34棟
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(指定年月日)
- 1901年(明治34年)8月2日:本殿、権殿など24棟が古社寺保存法に基づく特別保護建造物(文化財保護法下の「重要文化財」に相当)に指定。
- 1903年(明治36年)4月15日:拝殿(細殿)、舞殿(橋殿)、土屋(到着殿)、楽屋、外拝殿、北神饌所(庁屋)の6棟が特別保護建造物に指定。
- 1953年(昭和28年)3月31日:本殿、権殿が文化財保護法に基づき国宝に指定。
- 1967年(昭和42年)6月15日:摂社若宮神社本殿、摂社新宮神社本殿及び拝殿(2棟)、摂社片岡神社本殿及び拝殿(2棟)、片岡橋の6棟を重要文化財に追加指定。このほか、附(つけたり)指定物件はいずれもこの日付けで指定[14]。
美術工芸品
- 賀茂神主経久記 6帖
- 賀茂別雷神社文書(13,639通)41巻、3168冊、112帖、2幅、82鋪、9952通、2枚(附 文書箱24合)[15][注釈 1][注釈 2]
- 賀茂祢宜神主系図(凡例並目録共)※(財)賀茂県主同族会が所有
典拠:2000年(平成12年)までに指定の国宝・重要文化財については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000年)による。
国指定天然記念物
国指定史跡
- 賀茂別雷神社境内
京都市指定史跡
- 久我神社境内
その他
前後の札所
所在地
- 京都府京都市北区上賀茂本山339


