文部省(現在の文部科学省)の技師鳥海他郎の設計で1922年(大正11年)2月に建造[2]。1949年(昭和24年)まで旧制松山高等学校講堂として使われた[3]。
由来は、淮南子の「三光(三日月)を章(あきら)かにする」から採ったもの。太平洋戦争終了後に命名され、それまでは単に「講堂」と呼ばれていた[3]。
章光堂は2度の危機にあっている。
- 1度目は1945年(昭和20年)7月の松山大空襲で市中心街が火の海と化した時である。「講堂へ行け、講堂を守れ」と言われた数人が屋根まで登り、バケツリレーで水を運び上げ、火を消し止めた。
- 2度目は1966年(昭和41年)に愛媛大学附属中学校の講堂兼体育館が新造された時である。基準面積外になり、取り壊される予定だったが、松山高等学校の同窓会関係者が反対し、保存運動が起こった。その結果当時の愛媛大学学長が大学保存建物に指定。平成になってから1998年(平成10年)に国の登録有形文化財に登録された[3]。
2012年(平成24年)8月から2013年(平成25年)3月まで耐震改修工事が行われた[4]。