竹下勇

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死没 (1949-07-01) 1949年7月1日(79歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1890年 - 1929年
竹下たけした いさむ
生誕 1870年1月5日
明治2年12月4日
天皇の旗 日本大隅国桑原郡住吉村(現:鹿児島県霧島市隼人町
死没 (1949-07-01) 1949年7月1日(79歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1890年 - 1929年
最終階級 海軍大将
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竹下 勇(たけした いさむ、1870年1月5日明治2年12月4日〉- 1949年昭和24年〉7月1日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍大将鹿児島県出身。

  • 本名は竹下勇次郎。しかし任官当時、格下の竹下勇四郎機関士なる人物がいたことから、憤慨して改名してしまった。
  • 日露戦争の前後にアメリカ大使館付武官として長らく対米研究を重ねている。柔道を通じてセオドア・ルーズベルトと親しくなり、アポなしでホワイトハウスを訪問しても咎められないほど深い仲になっている。帰国後は訪日したルーズベルト家を招いて饗応している。但し、あくまでもセオドアとの個人的な友情であり、太平洋戦争末期にフランクリン・ルーズベルトが急逝すると、日記に「天罰が下った」と書き残している。
  • 日露戦争中は潜水艦の購入を画策したり、中立国経由で伝わるロシア情報の分析に腐心したりした。ロシア情報の分析では、ポーツマス会議に出席するウィッテ全権の人となりを詳細に分析し、外務省に伝達している。しかし、「対日非戦派として冷遇されていたので、会議では譲歩してくるだろう」という甘い予測は完全にはずれた。なお竹下はポーツマス会議の随員である。
  • 中国政策では積極干渉をモットーとし、これに対してアメリカがどのように妨害してくるかを生涯にわたって分析し続けた。石井・ランシング協定の仲介者であり、福建省進出やスプラトリー諸島領有化などの対中積極政策の推進者である。一方で、イギリスの対日感情に配慮し、自らは第一特務艦隊を率いてインド洋の通商保護に赴いている。
  • 海軍を引退した晩年はドイツとの連携を深め、ボーイスカウトを率いてヒトラーユーゲントを出迎えている。これは急に親米熱が冷めたのではなく、アメリカの対日政策が敵対化した以上、従来の融和路線から対抗路線に転換せざるを得なくなったと判断したためである。竹下はアメリカと対立するなら、ヨーロッパの有力な勢力との協力が必要であると日ごろから説いており、その候補としてイギリス・フランスとともにドイツを挙げていた。イギリス・フランスとも亀裂を生じたため、たまたま増長するドイツを相手に選んだだけであり、積極的なナチ信奉者ではない。
  • 原宿竹下通りは竹下邸があったことに由来するという説がある。

家族

年譜

アメリカ公使館付武官時代(1905年)
攻玉社幼年学校出身。

栄典

位階
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1895年(明治28年)11月18日 勲六等単光旭日章[14]
1895年(明治28年)11月18日 明治二十七八年従軍記章[15]
1900年(明治33年)11月30日 勲五等瑞宝章[16]
1902年(明治35年)5月10日 明治三十三年従軍記章[17]
1906年(明治39年)4月1日 勲三等旭日中綬章[18]
1906年(明治39年)4月1日 明治三十七八年従軍記章[18]
1912年(大正元年)8月1日 韓国併合記念章[19]
1915年(大正4年)11月1日 勲二等瑞宝章[20]
1915年(大正4年)11月7日 旭日重光章[21]
1915年(大正4年)11月7日 大正三四年従軍記章[21]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章(大正)[22]
1918年(大正7年)3月4日 金杯一個[23]
1920年(大正9年)9月7日 勲一等旭日大綬章[24]
1940年(昭和15年)8月15日 紀元二千六百年祝典記念章[25]
外国勲章佩用允許
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1910年(明治43年)5月16日 大韓帝国 韓国皇帝陛下南西巡幸記念章[26]
1923年(大正12年)6月7日 イギリスの旗 イギリス帝国 バス勲章ナイトグランドクロス[27]
1923年(大正12年)6月7日 イタリア王国の旗 イタリア王国 聖マウリッツィオ・ラザロ勲章大十字騎士章[27]
1923年(大正12年)6月7日 ベルギー ベルギー王国 レオポール第二世勲章グランクロア[27]
1923年(大正12年)6月7日 オランダ オランダ王国 剣付オランジュナッソー勲章英語版グランクロア[27]
1923年(大正12年)6月7日 ローマ教皇庁 甲級サングレゴアル勲章グランクロア[27]
1937年(昭和12年)6月3日 ナチス・ドイツの旗 ドイツ国 オリンピック名誉章ドイツ語版[28]

関連著作

黒沢文貴・斎藤聖二・櫻井良樹・波多野勝編『海軍の外交官竹下勇日記』芙蓉書房、1998年。

出典

関連項目

外部リンク

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