竹中組
兵庫県姫路市に本部を置く暴力団
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略歴
初代
- 1980年(昭和55年)5月13日、竹中組若頭補佐平尾光が指揮し、同組員大西正一、同組幹部高山一夫、竹中組系岡山竹中組若頭補佐山下道夫、竹中組系杉本組若頭補佐山田一は、兵庫県姫路市東駅前町の二代目木下会の事務所前で、二代目木下会高山雅裕会長と同組員森崎右を銃撃し、高山雅裕会長は即死、森崎右は病院で死亡した。
- 1981年(昭和56年)7月23日、三代目山口組組長田岡一雄が死去。
- 1982年(昭和57年)、三代目山口組若頭に就任。
- 1982年(昭和57年)、兵庫県警は賭博開帳による収益が無申告だったとして、竹中を所得税法違反容疑で神戸地検に告発し、翌1983年6月まで勾留された。
- 1984年(昭和59年)6月5日、四代目山口組組長を襲名。
- 1984年(昭和59年)6月13日、三代目山口組組長代行山広組組長山本広は、四代目山口組の跡目争いに伴い離脱し、一和会を結成した。
二代目(旧)
- 1984年(昭和59年)6月23日、初代竹中組若頭岡山竹中組組長竹中武は、二代目竹中組組長を襲名し、四代目山口組に参画した。
山一抗争
- 1985年(昭和60年)1月26日、一和会常任理事悟道連合会会長石川裕雄が指揮し、一和会系二代目山広組若頭後藤栄治、同組行動隊長長野修一、実行犯の同組員長尾直美、同組員田辺豊記、同組員立花和夫は、大阪府吹田市のマンション「GSハイム第二江坂」1階エレベーター前で、四代目山口組組長竹中正久、同組若頭豪友会会長中山勝正、同組組長秘書南組組長南力を銃撃し、南力組長は即死、中山勝正若頭は4時間後に死亡、竹中正久四代目は大阪警察病院で翌日死亡した。
- 1985年(昭和60年)2月1日、兵庫県警機動隊と岡山県警は、野球賭博開帳容疑で、二代目竹中組組長竹中武を逮捕し、1年5か月間拘留した。
- 1985年(昭和60年)3月24日、二代目竹中組系塚川組組員桃井省三は、兵庫県の甲子園球場の駐車場で、一和会特別相談役大川覚の長男を銃撃した。
- 1985年(昭和60年)10月27日、二代目竹中組系杉本組系輝道会組員清山礼吉と同組員山本尊章は、鳥取県倉吉市のスナックで、一和会幹事長補佐赤坂組組長赤坂進と同組員田中義昭を射殺した。
- 1986年(昭和61年)1月21日、二代目竹中組系大西組組員前田哲也と同組員山本孝道は、兵庫県加古川市で、一和会系加茂田組舎弟小野会会長小野敏文を射殺した。
- 1986年(昭和61年)2月27日、二代目竹中組系柴田会組員井垣道明と同組員星山勲は、四代目山口組組長の墓前(兵庫県姫路市深志野)で射殺された。
- 1986年(昭和61年)5月21日、二代目竹中組系二代目生島組幹部北原智久と同組幹部大宮真浩は、大阪府大阪市の路上で、一和会副本部長中川連合会会長中川宣治を射殺した。
- 1988年(昭和63年)2月17日、兵庫県警は、兵庫県神戸市東灘区御影の路上で、竹中組若頭補佐増田組組長増田国明と同組員西浦恵信の乗車していた車内から拳銃4丁、アメリカ軍用M67型手榴弾2個、実弾25発を発見し、現行犯逮捕した。
- 1988年(昭和63年)5月14日、二代目竹中組組長秘書安東会会長安東美樹らは、兵庫県神戸市東灘区御影の一和会会長山本広の自宅前で、警備中の警察官3人を銃撃した。
- 1988年(昭和63年)10月1日、二代目竹中組系二代目西岡組組員山下竜二は、愛媛県松山市の全日空ホテル前で、一和会系神竜会組員を銃撃し、神竜会組員は翌日死亡した。
- 1989年(平成元年)2月27日、四代目山口組若頭補佐に昇格した。
- 1989年(平成元年)3月30日、一和会会長山本広は、引退と一和会の解散を表明した。
- 1989年(平成元年)4月27日、三代目山口組若頭渡辺芳則(二代目山健組組長)は、五代目山口組組長に襲名した。
- 1989年(平成元年)6月5日、四代目山口組若頭補佐二代目竹中組組長竹中武、四代目山口組舎弟二代目森川組組長矢嶋長次、四代目山口組若中森唯組組長森田唯友紀、四代目山口組若中二代目牛尾組組長牛尾洋二は、『山一抗争』終結に反対し、山口組を離脱後、解散した一和会に報復を続けた。
- 1989年(平成元年)7月28日、竹中武組長率いる二代目竹中組は、独立組織と成り、竹菱の代紋を掲げた。
山竹抗争
- 一和会会長山本広の引退と一和会の解散を引き換えに山本広の命を保証した五代目山口組は、解散した一和会に報復を続ける二代目竹中組に対して一方的に攻撃する山竹抗争に突入した。
- 1990年(平成2年)3月5日、二代目竹中組組員熊原健裕は、岡山県岡山市十日市東町の自宅で射殺された。
- 1990年(平成2年)3月12日、二代目竹中組幹部八栗拓一は、鳥取県倉吉市のJR倉吉駅前で射殺された。
- 1990年(平成2年)6月18日、岡山県警は、解散した一和会本部長松本勝美の自宅を襲撃した首謀者として、二代目竹中組組長竹中武を逮捕した。
- 1993年(平成5年)8月27日、山本広が病死し、山竹抗争は終焉した。
- 2008年(平成20年)3月15日、二代目竹中組組長竹中武は、病死した。
三代目(旧)
- 二代目竹中組組長代行竹中正は、三代目竹中組組長に襲名した。
- 2014年(平成26年)5月、三代目竹中組組長竹中正は、死去した。
二代目(新)
『山一抗争』で一和会会長山本広自宅を襲撃しロケットランチャーを撃ち込んで服役[1]した安東美樹は、刑務所内で、竹中四代目を襲撃した犯人の1人に殴りかかったことがある[2]。出所した時には伝説のヒットマンが出所と話題になった[1]。
2015年(平成27年)9月10日、六代目山口組は既存の二代目柴田会(会長:
2016年(平成28年)7月、竹中組系組員(37)の親族が関係する兵庫県姫路市内の民家で、「回転式」と「自動式」の拳銃5丁と散弾銃1丁、銃弾数十発が発見された[4]。同年9月29日午前、兵庫県警は捜査員約30人態勢で竹中組事務所を捜索、安東組長に任意同行を求めた[4]。同日、兵庫県警薬物銃器対策課と暴力団対策課は、銃刀法違反(加重所持)の疑いで、山口組竹中組(姫路市安田)安東美樹組長(61)と、同組系組員2人を逮捕した[4]。兵庫県警は、2015年8月に山口組から離脱した勢力が結成した指定暴力団神戸山口組とのトラブルに備え、組ぐるみで銃を所持した疑いもあるとみて、入手経路の解明などを進める[4]。
2017年(平成29年)、六代目山口組若頭補佐に昇格[5]。
2019年11月27日午後5時5分ごろ、尼崎市神田南通1の路上で、元・六代目山口組竹中組篠原会組員[6]53歳は自動小銃M16で四代目古川組古川恵一総裁に向かって約30発撃ち、古川総裁は即死した[7]。現場からは空の薬きょう15発と不発だった実弾13発が見つかった[7]。2021年2月19日、判決公判が神戸地方裁判所(小倉哲浩裁判長)で開かれ、無期懲役(求刑無期懲役)を言い渡した[8]。2021年11月29日、控訴審判決公判が大阪高等裁判所(和田真裁判長)で開かれ、無期懲役とした1審神戸地裁判決を支持し、被告側の控訴を棄却[9]。2022年4月6日、最高裁判所は上告を棄却する決定をし、求刑通りの無期懲役判決が確定[10]。
歴代
組織(新)
二代目(新)
- 組長 - 安東美樹(六代目山口組若頭補佐・阪神中四国ブロック長[14])
- 若頭 - 村上茂徳(二代目篠原会会長)
- 副組長 - 小田 貢(二代目藤正会会長)
- 舎弟頭 - 金川隆次(三代目柴田会会長)
- 幹事長 - 古門征樹(美道会会長)
- 統括 - 山下竜二
- 本部長 - 富田洋史(東龍会会長)
- 特別顧問 - 朝見芳樹(二代目安東会会長)
- 顧問 - 伊達京介(伊達興業組長)
- 顧問 - 遠山二郎(遠山総業組長 )
- 顧問 - 金山義弘
- 相談役 - 菊池政治(菊政会会長)
- 副本部長・慶弔委員長 - 瀬畑伸吾
- 若頭補佐・組織委員長 - 槝摩元廣(東志会会長)
- 若頭補佐・慶弔副委員長 - 前田雄介
- 若頭補佐・事務局長 - 松田和樹
- 幹部 - 下村彰佳
- 幹部・組長秘書 - 加藤久雄
- 幹部 - 山本 寛
- 幹部 - 森 健二
- 若中 - 渡邊 智(二代目青木組組長)
- 若中 - 加藤元秀
- 若中 - 中鉢 覚
- 若中 - 福原直哉(東心会会長・二代目篠原会最高顧問)
出身(旧)
佐藤組
- 菅谷組若頭補佐佐藤組組長佐藤邦彦は、菅谷組の解散に伴い、初代竹中組に参画し、初代竹中組舎弟に就任した。
- 四代目山口組に昇格した。
- 五代目山口組に参画した。
- 佐藤組組長佐藤邦彦は、病死した。
- 1997年7月、佐藤組若頭細見孝夫は、二代目佐藤組組長に襲名し、五代目山口組に参画した。
- 2010年5月、二代目佐藤組組長細見孝夫は、除籍処分された。
離脱(旧)
注釈
竹中一族
- 父親:竹中龍次(養子)御国野村村議会議員
- 母親:竹中愛子
- 三男:竹中正久(四代目山口組組長/初代竹中組組長)
- 五男:竹中 正(三代目竹中組組長/竹中正組組長)
- 八男:竹中 武(二代目竹中組組長/岡山竹中組組長)