神戸山口組

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設立者井上邦雄
本部〒651-0093
日本の旗 日本兵庫県加古郡稲美町中村字池之跡1379-10[1][2]
首領井上邦雄
神戸山口組
神戸山口組の代紋「山菱」
設立2015年8月27日
設立者井上邦雄
本部〒651-0093
日本の旗 日本兵庫県加古郡稲美町中村字池之跡1379-10[1][2]
首領井上邦雄
活動期間2015年 - 現在
構成員数
(推定)
約270人(2025年末時点)[1]
┗構成員/約110人
┗準構成員/約170人
友好組織 池田組
絆會
敵対組織 六代目山口組[1]

神戸山口組(こうべやまぐちぐみ)は、兵庫県加古郡稲美町中村字池之跡1379-10[1][2]に本部を置く特定抗争指定暴力団[1]

構成員数は2025年末時点で約270人(構成員は約110人、準構成員は約170人)[1]兵庫県警によると、兵庫県内の暴力団(準構成員を含む)勢力は410人(前年比70人減)であり、神戸山口組は90人(同10人減)である[3]ただし、あえて登録しない者や警察が把握できていない構成員等がいるため、実際は統計上の数字の数倍に上るとの見方もあることに留意する[4]

かつては兵庫県淡路市志筑88-1に本部を置いていた[5]。その後、淡路市から兵庫県神戸市中央区二宮町3-10-7に移転し本部を構えていたが、2023年に民間の不動産事業者に売却し、稲美町へ移転したことが2023年7月21日に兵庫県公安委員会により発表された[6][7]

六代目山口組住吉会及び稲川会とともに、警察庁から主要暴力団として位置づけられている[1]

2025年4月10日、六代目山口組は対立する神戸山口組との抗争を「終結する」と兵庫県警本部に宣誓書を提出し宣言した。これは神戸山口組がこの10年で、構成員の人数が9割以上減り弱体化していることが原因とみられる[8]

警察庁の報告によると、神戸山口組は、2015年平成27年)8月27日指定暴力団・六代目山口組を離脱した13名の直系組長により結成された組織であり、組長は四代目山健組組長を務めていた井上邦雄である[9]

分裂の背景には、六代目山口組が司忍六代目や山清司若頭らの母体である名古屋弘道会出身者を重用していることに対して、以前の主流派であった山健組等の関西系組織の不満があったものとされている[10]

六代目山口組で毎月65万円とされる上納金が神戸側では10万円まで減額され、一部の幹部に対しては1,000万円単位の支度金まで用意されるケースもあるとされる(2016年4月当時)[11]

結成以後、六代目山口組との抗争状態が続き、発砲や車両突入などの抗争事件2016年3月6日までに20都道府県で49件発生し、翌7日に警察が対立抗争状態と認定してから2024年末までに101件発生していた[12][13]

2025年4月7日、兵庫県警本部を六代目山口組の森尾卯太男本部長(大同会会長)、津田力若頭補佐(四代目倉本組組長)、安東美樹若頭補佐(二代目竹中組組長)の3人が訪問し、宣誓文を提出し、六代目山口組側は抗争終結を宣言した。これに対して、神戸山口組、池田組、絆會、二代目宅見組はノーリアクションのままである。

来歴

2014年

2014年平成26年)6月24日、六代目山口組若頭 高山清司が出頭し収監された。

2014年10月頃、後に神戸山口組の最高幹部となるメンバーが、六代目山口組からの離脱をジャーナリストの溝口敦に仄めかした[14]

2015年

2015年(平成27年)1月25日山口組総本部2階大広間で「山口組創設百周年記念式典」が司忍六代目73歳誕生祝賀会を兼ねて行われた[15]。直系組長全員出席、友好12団体トップ(一部代理)らが招待された。司会進行は井上邦雄若頭補佐、最後は入江禎舎弟頭の音頭による手締めでお開きとなった[15]

2015年8月26日、六代目山口組若頭補佐・四代目山健組組長・井上邦雄弘道会派、あるいは山健組的立場にある13人が各々の組織を率いて六代目山口組を離脱した。翌日の27日未明に井上邦雄を組長として離脱者で神戸市内で盃直しを挙行し[16]神戸山口組の結成を発表(神戸山口組盃儀式は六代目山口組処分発表より早かった[16]。)

同27日、六代目山口組総本部で緊急執行部会が行われた後、11時過ぎ橋本弘文総括委員長と大原宏延本部長が名古屋市に向かい本家(司六代目自宅)を訪れた。2人が総本部に戻った時は15時を過ぎており、ほどなく処分が明らかになった[17]。六代目山口組は離脱した13人に処分を下し、そのうち、若頭補佐以上の執行部と元執行部メンバーである元・六代目山口組舎弟頭 入江禎(二代目宅見組組長)、元・六代目山口組若頭補佐 井上邦雄(四代目山健組組長)、元・六代目山口組舎弟 寺岡修(俠友会会長)、元・六代目山口組舎弟 正木年男(正木組組長)、元・六代目山口組舎弟 池田孝志(池田組組長)の5人絶縁処分された[16]。元・六代目山口組総本部事務局長 毛利善長(毛利組組長)、元・六代目山口組幹部 二代目松下組組長 岡本久男、元・六代目山口組総本部事務局次長 剣柾和(二代目黒誠会会長)、元・六代目山口組直参 奥浦組組長 奥浦清司、元・六代目山口組直参 雄成会会長 高橋久雄、元・六代目山口組直参 二代目西脇組組長 宮下和美、元・六代目山口組直参 大志会会長 清崎達也(のちに四代目大門会→解散)、元・六代目山口組直参 四代目真鍋組組長 池田幸治(のちに任俠団体山口組→任侠山口組→絆會→解散)の8人破門処分された[17]。10年前の同日は、司忍六代目の代目継承盃儀式が執り行われた日だった[18]

離脱以降、六代目山口組側の複数の傘下組織ならびに過去に処分を受け解散した組織の元組員を取り込んだ事で、2015年(平成27年)末には6,100人(構成員は約2,800人[19]、準構成員は約3,400人)[1]の勢力を擁した。

神戸山口組は、毎月、直系組長が納める「会費」の大幅引き下げに踏みきり、役職などに応じ30万~10万円にした[20]。さらに、組トップに対する中元、歳暮、誕生祝いなどを禁止することも決め、ミネラルウオーター石けんなど雑貨の強制購入も行わない[20]。六代目山口組では直系組長に毎月約120万円の「会費」のほか、六代目組長への中元歳暮、誕生祝い金として約300万円が特別徴収されており、年間の総負担額は2000万円以上にのぼっていた[20]

2015年10月6日[21]長野県飯田市で六代目山口組二代目近藤組掛野組[22]組員が兄貴分である同組幹部に射殺された(その掛野組組員が神戸山口組系三代目竹内組へ移籍の動きがあったため)[23]。神戸山口組系三代目竹内組が飯田市に組員を送り込むことを察知した三代目弘道会野内組野内正博組長は、組員を現地に送り支援した。以降、長野県内で抗争事件が多発する[23]

2016年

2016年(平成28年)1月27日、神戸山口組系三代目竹内組の構成員ら4名が、長野県南箕輪村の中央自動車道上り2車線にクルマを停車、約4時間にわたり交通を完全に麻痺させ、大渋滞をひき起こした前代未聞の封鎖事件が発生、公道を封鎖したとして威力業務妨害で現行犯逮捕された[24]

2016年2月19日、神戸山口組がそれまで不定であった総本部(本部・事務局機能)を傘下の俠友会本部事務所(淡路市)に決定したことが報じられた[25]

2016年3月、警視庁は、六代目山口組と神戸山口組は抗争状態にある、と宣言[26]

同年4月15日兵庫県公安委員会により指定暴力団に指定された(指定番号6316-1)[27]。また、読売新聞や日本経済新聞は、警察当局が六代目山口組と神戸山口組を特定抗争指定暴力団へ指定する事を検討中と報じた[28]

2017年

2017年(平成29年)4月30日、傘下の一部団体が組の運営方針に異議を唱え神戸山口組を離脱。反旗を翻す形で四代目山健組副組長織田絆誠は四代目山健組を割って新組織・任俠団体山口組(のちに任侠山口組→絆會)を結成した[29][30]

同年10月2日には、暴力団追放兵庫県民センターが俠友会本部事務所の使用差し止めを求める仮処分神戸地方裁判所に申し立てた[31]。これを受け、神戸山口組側は地裁が判断する前の同月25日、淡路市内にあった俠友会本部事務所を閉鎖した[32]

2019年

2019年令和元年)10月18日早朝に六代目山口組若頭 高山清司が出所[33][34]

2019年11月27日午後5時5分ごろ、尼崎市神田南通1の路上で、元・六代目山口組竹中組篠原会組員[35]53歳が自動小銃M16で四代目古川組古川恵一総裁に向かって約30発撃ち、古川総裁は即死した[36]。現場からは空の薬きょう15発と不発だった実弾13発が見つかった[36]2021年2月19日、判決公判が神戸地方裁判所(小倉哲浩裁判長)で開かれ、無期懲役(求刑無期懲役)を言い渡した[37]。2021年11月29日、控訴審判決公判が大阪高等裁判所(和田真裁判長)で開かれ、無期懲役とした1審神戸地裁判決を支持し、被告側の控訴を棄却[38]。2022年4月6日、最高裁判所は上告を棄却する決定をし、求刑通りの無期懲役判決が確定[39]

2019年12月に兵庫県公安委員会など6府県の公安委員会により、六代目山口組と共に特定抗争暴力団に指定され、2020年(令和2年)1月7日の官報告示をもって発効した。

2020年

2020年(令和2年)1月7日、兵庫、大阪、愛知、京都、岐阜、三重の6府県の公安委員会は、暴力団対策法に基づき六代目山口組と神戸山口組を「特定抗争指定暴力団」に指定したと官報で公示した[40]神戸市尼崎市姫路市淡路市大阪市豊中市名古屋市岐阜市桑名市京都市の10市が「警戒区域」に指定され、148の組事務所や幹部宅が含まれた[40]

2020年7月に、井上邦雄組長の出身母体であり神戸山口組最大の有力団体でもある五代目山健組が傘下を離れ、独立(後に六代目山口組に帰参)して以降、池田組(離脱)、正木組正木年男組長は引退し正木組は解散[41])と神戸山口組は結成時の有力団体が離脱・解散して弱体化が急速に進み、組員数は2021年末の時点で約1,000人[42](構成員約510人[43]、準構成員約540人)にまで減少した。

2020年5月、雄成会高橋久雄会長が引退し、雄成会は解散した。

2020年8月、二代目黒誠会剣柾和会長が引退し、二代目黒誠会は解散した。

2020年8月、絆會若頭四代目真鍋組池田幸治組長は絆會四代目真鍋組を解散し、翌9月に六代目山口組本部を訪れ謝罪し引退した。

2020年12月、毛利組毛利善長組長が死去

2021年

2021年(令和3年)4月、奥浦清司引退し、奥浦組は解散した。

2021年9月16日、中田浩司組長率いる五代目山健組が六代目山口組に帰参し、中田浩司組長が六代目山口組幹部に就任。

2022年

2022年(令和4年)8月に寺岡修若頭率いる俠友会離脱[44]、同年末時点での神戸山口組組員数は約760人[注 1][45]、うち構成員については約330人[46]に減少したと推定される。二代目西脇組宮下和美組長と二代目松下組岡本久男組長は神戸山口組に残留しているが距離を置いている。

2022年9月8日、池田組と五分の親戚関係を結ぶ。これにより、池田組の友好団体である絆會を交えた3者で実質的な同盟関係が結ばれたと報じられた[47]。絆會組員の法事に神戸山口組の幹部が弔問に訪れるといった人的交流が見られたが、絆會に対しては完全な関係修復には至らず、六代目山口組への対抗勢力として緩やかに連帯する程度に留まる[48][49]。3社連合の構築が不調に終わったことが要因となり、入江禎副組長率いる二代目宅見組離脱[48][50]

2022年12月20日、侠友会寺岡修会長は、神奈川県内の稲川会館を訪れ、稲川会内堀和也会長の仲裁のもと、六代目山口組若頭高山清司に謝罪し、引退を報告、その後、兵庫県警に侠友会解散届を出した[51]

2024年

2024年(令和6年)10月末、井上組長の秘書兼ボディーガードをしていた大門会清崎達也会長が、井上組長から引退を認められた[52]

分裂当初は六代目山口組約1万4千人、神戸山口組約6千人だったが、2024年末時点で山口組約6900人に対し、神戸山口組は約320人[53]。絆会と池田組を合わせても約600人にとどまっている[53][54]

2025年

2025年(令和7年)1月24日、五代目山健組中田浩司組長が六代目山口組若頭補佐に昇格。

2025年1月29日午後6時40分頃、井上組長自宅敷地内で出火し[55]、出火直後に敷地内から出て来た静岡県浜松市に住む75歳無職男性(六代目山口組國領屋一家舎弟頭 八代目霊岸島桝屋服部会会長[56] 2019年に破門[56])が警察官に拳銃のようなものを向けたとして、公務執行妨害の現行犯で逮捕された[57]

2025年3月、稲川会の幹部が六代目山口組と神戸山口組の抗争を終わらせるための「連判状」を作成するために全国の組織を回り、4月に関東の主だった団体が同意し、稲川会住吉会が要望として六代目山口組側に連判状を手渡した[58]

2025年4月7日午後1時、兵庫県警本部を六代目山口組の森尾卯太男本部長(大同会会長)、津田力若頭補佐(四代目倉本組組長)、安東美樹若頭補佐(二代目竹中組組長)の3人が訪問し、以下の宣誓文を提出し、六代目山口組側は抗争終結を宣言した。「この度は全国の任侠団体の申し出により山口組は処分者の井上入江池田岡本宮下との抗争を終結する事にしました。尚、山健組処分者の織田とも今後一切揉める事はしません。一般の市民にはご迷惑お掛けしました。高山清司 執行部一同」[59]

2025年4月8日、兵庫県公安委員会は、神戸山口組(兵庫県稲美町)を暴力団対策法に基づく指定暴力団に再指定し、官報で公示した。指定は2016年以降、4回目。期間は2028年4月までの3年間[60]

2025年7月10日付で、六代目山口組若頭補佐五代目山健組中田浩司組長が六代目山口組大阪南ブロック長代理に就任[61]

2025年9月、井上邦雄組長は引退しない意向であると報じられた[53]

綱領と組指針

山口組と同様に田岡一雄が制定した下記の五箇条から成る綱領があり、定例会等で唱和される。

  • 一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ
  • 一、外に接するに愛念を持し信義を重んず
  • 一、長幼の序を弁え礼に依って終始す
  • 一、世に処するに己の節を守り譏を招かず
  • 一、先人の経験を聞き人格の向上を図る

指針

  • 平成28年度 - 継往開来(けいおうかいらい・先人の事業を受け継ぎ発展させながら未来を切り開くこと)[9][62]
  • 平成29年度 - 風霜尽瘁(ふうそうじんすい・厳しく激しい苦難の中でも一所懸命に力を尽くして労苦すること)[63][64]
  • 平成30年度 - 一燈照隅(いっとうしょうぐう・一人ひとりが一隅を照らすことになれば、人の和が成り立つこと)[65]
  • 平成31年(令和元年)度 - 一心一意(いっしんいちい・心を一つにして、共に思い励むこと)
  • 令和2年度 - 不易流行(ふえきりゅうこう・いつまでも変化しない本質的なものを忘れないなかにも、新しい変化を重ねているものを取り入れていくこと)
  • 令和3年度 - 金剛不壊(こんごうふえ・非常に堅固で、決して壊れないこと)[66]
  • 令和4年度 - 刻苦義励(こっくぎれい・心身を苦しめてでも、信念のために励むこと)

組織図

組長

氏名在任期間六代目山口組での最終役職出身二次団体
井上邦雄 2015年8月 - 現在 若頭補佐 四代目山健組

執行部

役職氏名二次団体本部
若頭 小嶋恵介 二代目中野組 大阪府堺市
舎弟頭 近藤大恵 徳心会 東京都
舎弟頭補佐 宮下和美 二代目西脇組 神戸市西区
組織委員長 元満志郎 二代目安部組 福岡県福津市
若頭補佐 藤田恭道 二代目英組 大阪市西淀川区

舎弟

役職氏名二次団体本部
舎弟 岡本久男 二代目松下組 神戸市中央区
舎弟 須ノ内 祥吾 二代目東生会 大阪市淀川区

幹部・若中

役職氏名二次団体本部
幹部 清崎達也 四代目大門会 熊本市中央区
若中 親泊吉広 四代目古川組 兵庫県尼崎市
若中 岡田 豊 西虎会(西脇組) 神戸市西区

神戸山口組を離脱し三代目弘道会野内組へ移籍

脚注

関連項目

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