竹前重吉
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1922年(大正11年)6月15日、山梨県甲府市に生まれる[1][3][4]。
1940年(昭和15年)、旧制・甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を卒業[3][4]、第二次世界大戦の召集を受け出征、戦後1946年(昭和21年)に南方戦線から復員する[3][4]。1947年(昭和22年)、俳優の長谷川一夫が主宰する新演伎座の文芸部に入社し、映画監督の衣笠貞之助や冬島泰三に師事する[3][4]。
1953年(昭和28年)、宝塚映画製作所(現在の宝塚映像)助監督課に移籍[3][4]、冬島のほか、豊田四郎、丸根賛太郎、佐伯幸三らの助監督を務め、1959年(昭和29年)、同社が製作した劇場用映画『やりくりアパート』で監督に昇進[3][5]、社員から契約監督となる[4]。
同作を含めて6作を監督した後に、松竹から1作のみの条件で東宝系への小津安二郎監督の招請が認められ、宝塚映画が製作することになった『小早川家の秋』のチーフ助監督を務める[2][5]。以降、1964年(昭和39年)まで、内川清一郎、稲垣浩らのチーフ助監督を務め[5]、その傍ら、テレビ映画に進出し、『天兵童子』、『マキちゃん日記』等を監督として手がける[3]。1970年(昭和45年)に退社し、フリーランスとなる[4]。
1970年代以降、テレビ映画、企業のPR映画、カラオケ映像等の演出を手がけた[4]。
2011年9月11日、直腸癌により死去。