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山梨県立甲府第一高等学校

山梨県甲府市にある高等学校 From Wikipedia, the free encyclopedia

山梨県立甲府第一高等学校(やまなしけんりつこうふだいいちこうとうがっこう)は、山梨県甲府市美咲二丁目に所在する公立高等学校。

過去の名称 甲府学問所
徽典館
山梨縣中學校
山梨學校
山梨縣尋常中學校
山梨縣第一中學校
縣立山梨縣第一中學校
山梨縣立甲府中學校
国公私立の別 公立学校
設置者 山梨県の旗山梨県
学区 全県一学区
概要 山梨県立甲府第一高等学校, 過去の名称 ...
山梨県立甲府第一高等学校
北緯35度40分36.5秒 東経138度33分49.1秒
過去の名称 甲府学問所
徽典館
山梨縣中學校
山梨學校
山梨縣尋常中學校
山梨縣第一中學校
縣立山梨縣第一中學校
山梨縣立甲府中學校
国公私立の別 公立学校
設置者 山梨県の旗山梨県
学区 全県一学区
設立年月日 1880年10月23日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
探究科
学校コード D119210000032 ウィキデータを編集
高校コード 19106A
所在地 〒400-0007
山梨県甲府市美咲2-13-44
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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県内でも古い歴史を持つ高等学校である。通称は「一高(いちこう)」、「甲府一高」。

設置学科

  • 普通科 - 豊かな教養と将来への展望を持ち、社会をリードできる人材の育成を目指す。
  • 探究科 - 論理的思考力や国際的視野を持った、グローバル人材として活躍するための素地を作る。英語科より改編。

特色

  • 江戸時代に甲府勤番士子弟の教育を目的として甲府城郭内に設置された徽典館(甲府学問所)をルーツに持つ。かつては普通科に加えて英語科が設置されていたが、2016年(平成28年)4月に英語科を改編する形で「探究科」が設置された。
  • 伝統行事として10月初旬に行われる「強行遠足」が有名。また、入学者を対象として、4月中旬に「応援練習」を実施する。
  • 1929年落成の旧本館は1992年に取り壊されたが、翌1993年完成の新本館にもその面影が残されている。
  • 新本館中庭には、1926年に当時の校長である江口俊博が鋳造した「日新鐘」を設置。鐘の名は校是にちなむ(校是については後述)。
  • 同校OBによって結成された「鶴城クラブ」が、ヴァンフォーレ甲府の前身である。
  • 文部科学省による各種研究指定を受けている[1]。
    • 2004年度(平成16年度)から2006年度(平成18年度)まで、SELHiに指定。
    • 2014年度(平成26年度)から2018年度(平成30年度)まで、SGHに指定。
    • 2019年度(平成31年度)より「地域との協働による高等学校教育改革推進事業」の指定(2019年度はアソシエイト校、2020年度よりグローカル型)を受けた。
    • 2023年度(令和5年度)より「WWL(ワールド・ワイド・ラーニング)コンソーシアム構築支援事業」の事業拠点校に指定されている。

沿革

明治20年(1887年)頃の「山梨県立甲府中学校」[2]
明治40年代、甲府城内の「山梨県立甲府中学」[2]

校是

  • Boys be ambitious(少年よ大志を抱け)
    第7代校長の大島正健が提唱。札幌農学校(現・北海道大学)の一期生であった大島が、離別するクラーク博士から直接受けた言葉とされる。これに基づく教育目標は「1. 高遠な理想のもとに、平常の実践に努める」。
  • Be Gentleman(紳士たれ)
    大島正健が提唱。クラーク博士が札幌農学校で唯一掲げた校則として知られる。
  • 賛天地之化育(天地之化育を賛く)
    第10代校長の江口俊博が提唱。出典は『中庸』。本館正面玄関にはレリーフが掲げられている。これに基づく教育目標は「2. 自然の法に遵い、人間愛に生きる」。
  • 苟日新 日日新 又日新(苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり)
    江口俊博が提唱。出典は『大学』。殷の湯王が洗面器に刻んだ銘文とされる。これに基づく教育目標は「3. 日に新たに、真理を探究する」。

強行遠足

特徴

毎年10月初旬に行われている伝統行事である[3]。「強行遠足」という名称は、1937年発刊の『本校における強行遠足の意義とその実際』によれば、安易な妥協や怠慢を排し、自分の体力に応じて精根限り歩くことを重視したことに由来する[4]。遠足という名で呼ばれるが実質は強歩大会であり、全国に存在する類似の行事は「強歩」と称される[5]。戦後には多くが廃止されている傾向にあるが、全国的に見ても長い歩行距離・所要時間であり、生徒の克己心を涵養する行事としても位置づけられている[3]。

強行遠足の発足から第七回世界教育会議

1924年(大正13年)に、時の文部省より11月3日が「全国体育デー」(1927年(昭和2年)から改められ「明治節」)、同日前後が「全国体育週間」と定められた[6]。学校では体育行事を実施せよとの通達があり、全国で2万ほどの催し物が開催され、多くは学校が主体となった体育行事であった[6]。

甲府中学の第10代校長・江口俊博は「歩くにまさる身体の訓練はない」として「遠足運動」を企画し、1924年11月3日の明治節に第1回大会を開催した[7][4]。第1回大会は三班に別れ、第一班は東京方面、第二班は韮崎市の新府城往復、第三班は昇仙峡往復で、参加者が各コースを選択した[7]。校長の江口俊博は前年6月に赴任し、その年の9月には関東大震災が発生しており、後に震災の経験から「歩く教育」の必要性を実感し、同僚の教員と相談して強行遠足を学校行事に取り入れたと述懐している[8]。なお、強行遠足の発案者を教員の矢嶋種次とする説もある[9]。

2年目からは松本方面へコースが変更され、「強遠足」と称した。「強行遠足」と呼ばれるようになるのは第3回からである。第4・5回は木曽福島・松本方面であった[4]。1929年の第6回からは信濃大町方面コースが定着。制限時間は24時間である。最高記録は1957年の甲府 - 簗場間(167.1km)。

1930年代末には甲府中学教員の島田武が強行遠足の普及・科学研究のため新聞に文章を発表し、島田は後年に「強行遠足の主」と称された[10]。1937年(昭和12年)8月2日 - 8月7日には東京で開催された第七回世界教育会議において当時の甲府中学校長・隈部以忠が準備委員会・中等教育部委員に任命され、8月4日に開催された中等教育部第一会議では委員を務めている[11]。

本番では甲府中学の強行遠足に関する発表が予定されていたが、実際に発表が行われたことは確認されない[10]。ただし、同会に際して小冊子『本校に於ける強行遠足の意義と其の実際』が配布され、これにより甲府中学の強行遠足は全国的な知名度を得た[10]。同冊子は英語版も刊行される予定であったが実現されておらず、本会議で強行遠足に関する発表が実施されなかったのは隈部の体調不良と英語版冊子が未完であったためと考えられている[12]。

戦時下の強行遠足

交通機関が発達して脚力が低下した近代社会において強歩は健康維持の観点からも注目される一方で、1937年(昭和12年)には日中戦争が勃発し、兵士養成の観点からも重視された[13]。1941年(昭和16年)に体育指導者の大谷武一は『正常歩』において、甲府中学の強行遠足と鹿児島県女子師範学校・鹿児島県立第二高等女学校の事例を取り上げた[14]。

こうした風潮を受けて、1941年の第18回大会では従来の個人の限界に挑戦する従来の趣旨に対し、生徒の団結を強化するため「最優秀組」を表彰する制度が導入され、各学年において平均歩行距離が最高位のクラスに優勝額が授与された[15]。1942年には『意義と其の実際』の改訂版が刊行され、改訂版においても戦時色が強く出され、同年前後には強行遠足が最高潮に達したという[16]。

強行遠足は行政側からも注目され、1943年の第20回大会では厚生省体育官兼厚生技師の矢ヶ崎徳蔵、大日本体育会行軍山岳部理事の中村謙が大会を視察している[17]。1945年は終戦のため中止されたほか、これまでに伊勢湾台風の影響などを含め計3回中止されているが、それ以外の年は欠かさず実施されている[4]。

戦後の強行遠足

戦後には何度かの反対運動がありつつも現在に至るまで存続している。信濃大町方面コースが交通過多となり、1962年の第37回大会から佐久往還(甲府-小諸間)を約22時間(103km~105km、コースは毎年微妙に変化)以内に歩く終点地制がとられるようになった。女子は、須玉~小海間の約40kmコースである。

2002年の第76回大会において小海検印所手前で暴走車の輪禍によって女子生徒2人が死傷し、一人が軽傷、一人が亡くなった。学校では存続の是非を問う生徒・保護者を対象としたアンケートを実施し、翌2003年2月19日に存続を決定。同年度の第77回大会からは距離、所要時間ともに短縮。その後は安全対策を講じつつ2007年の第81回大会までは男子が甲府-野辺山間を11時間(55.4km)で、女子が須玉-野辺山間を7時間30分(30~31km)で歩く暫定的なコースが採用されている。2008年の第82回大会より男子のみ甲府 - 小海町間の75.3kmに再延長。6年ぶりにコースが変更されるとともに、午後10時出発の夜間歩行も再開。2013年、男子の佐久往還コース(105.7km)が復活。

2020年の第93回大会は新型コロナウイルス感染拡大を受け、男子が県立まきば公園までの43.8km、女子が高根総合支所までの31.0kmと距離を縮小して実施。感染防止のためにスタート時はマスクを着用し、給水所ではコップによる給水ではなくペットボトルを配った。

名物

  • 野辺山検印所では「シジミ汁」が振舞われる。
  • 女子生徒が男子生徒の出発前に手作りのお守りを渡すという伝統がある。お守りの中身は飴玉、絆創膏などで、加えて小さな紙に「小諸到着」と105回書いたものである。女子生徒が男子生徒に好意を持っている場合は「到着」が「必着」に変わる。男子生徒はお守りを荷物に携えて出発する。
  • かつて臼田検印所を好意で開放してくれた農家(臼田のおばさん)から無償で「臼田のりんご」(この農家でとれたりんご)が配られ、「小諸必着」お守りのお返しとして、好意のある女子生徒にこのりんご(1人1個限定)を送るという習慣もあった。

現在では臼田で2つ、小諸で1つの計3つ貰うことが可能である。

部活動

現在の吹奏楽部は應援團の下部組織として置かれており、正式な名称は「應援團吹奏楽部」。女子禁制の部活であった時期もあった。

かつては電気物理部において、アマチュア無線局(呼出符号:JA1YHQ)の運用が行われていた。

2024年現在では以下の部活動が存在する。

部活動文化局

  • 演劇部 
  • 応援団吹奏楽部
  • ア・カペラ部
  • 書道部
  • 弦楽部
  • 写真部
  • 自然科学部
  • フォークロック部
  • 筝曲部
  • 茶道部
  • 美術部
  • 新聞部
  • ダンス部
  • 放送部
  • 應援團
  • 文学部
  • 英語研究部

部活動体育局

  • テニス部(男女)
  • ソフトテニス部(男女)
  • バスケットボール部(男女)
  • ハンドボール部(男女)
  • バドミントン部(男女)
  • 野球部
  • サッカー部
  • アーチェリー部
  • 陸上部
  • 卓球部
  • 剣道部
  • 弓道部
  • 柔道部
  • 空手部
  • 水泳部
  • 山岳部

これらの部活動は、体育局・文化局の下に置かれ活動している。

著名な出身者

交通アクセス

  • 甲府駅北口より徒歩15分
  • 甲府駅南口4番乗り場より発車する山梨交通01・02系統「山宮循環」、03系統「昇仙峡口」行き、04系統「昇仙峡滝上」行き、06系統「一高経由敷島営業所」行き、58系統「一高経由敷島団地」行き、08系統「一高・敷島経由韮崎駅」行きのいずれかに乗車、「一高前」バス停下車
  • 韮崎駅、塩崎駅より山交タウンコーチ08系統甲府駅行きに乗車、「一高前」バス停下車
  • 上記の他、甲府駅周辺を経由せずに鰍沢営業所 - 一高前間を結ぶ山梨交通45系統「high school ライナー」が平日に2往復運行されている。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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