竹本正岑
From Wikipedia, the free encyclopedia
南北朝時代の武将・高田義遠(新田左中将義貞十六騎の一人)の次男・高田又次郎(竹本政季)[注釈 1]の後裔。(家紋:釘抜、鳩酸草)
天正12年(1584年)、竹本正岑の曽祖父・竹本権右衛門光政[注釈 2]は徳川秀忠に仕える。その後、徳川家康の命により、武蔵国横山(八王子)支配のため、八王子十八人代官の一人として駿河国より移住した。鷹を飼った経験があり、武蔵国忍、川越などで行われた鷹狩に塒飼として従った。昵懇の間柄となった徳川秀忠から御鷹(将軍の鷹)を預かり、御鷹飼となる。以降、子の望政、孫の望任と三代に渡って御鷹飼職を世襲し、上野天満神社にあった自らの屋敷の北隣を御鷹部屋にして管理していた[2]。望任は後に御鷹匠となる。
大横町にあった大善寺本堂近くに竹本権右衛門光政・望政・望任の三代の墓所があった。しかし大善寺は、昭和36年(1961年)大谷町に移転(墓所も移転したかは不明)。現在の大善寺本堂内には、寛永3年(1626年)竹本権右衛門光政などが大旦那となり、加藤甚左衛門尉長重が鋳造した釣鐘[注釈 3]が保管されている[3]。