竹簡に記されていたためこの名前で呼ばれており、孫武による著作は後世まで伝わる『孫子』と内容がほぼ合致した。一方で『孫子』とは別内容であると判明した孫臏の著作は、この発見以降『孫臏兵法』と呼ばれることとなった。
漢代は、各々を『呉孫子』『斉孫子』と言って区別していたが、そのどちらか片方が早くに散逸し、後世に残ったほうが『孫子』の原本となった。そのため『孫子』の著者が、孫武・孫臏のいずれになるか不明となっていた。あるいは両方とも散逸し、現代まで伝わる『孫子』は後代の偽書であるという説もあった。
この発見により長年の疑問が氷解し、『孫子』の著者は孫武であるとほぼ確定した。また、同時にここから『尉繚子』の写本も発見されたために、同書を前漢以後の偽書とする説が覆される事にもなった。