武蔵大曽根城主の笠原広定の子として生まれる。曽祖父は、武蔵小机城代で後北条氏の重臣である笠原信為。
天正9年(1581年)12月19日、小机城代の笠原氏本家筋(越前守家)の笠原照重は、武田勝頼に内通した戸倉城主・笠原政晴に攻められ、伊豆戸倉で討ち死にした[2]。このとき、広信の父である広定も従軍しており、照重とともに討ち死にした[3]。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉による小田原征伐で小田原城が落城すると、広信は自ら大曽根城をを破却して退去。冨川與右衛門(与右衛門)[4][3]と名を改めて帰農した。子孫は冨川氏を名乗った[4]。