笠原照重 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代(室町時代後期)- 安土桃山時代生誕 不詳死没 天正9年12月19日(1581年1月13日)改名 弥太郎(幼名)→ 照重 → 全罷(法名) 凡例笠原 照重時代 戦国時代(室町時代後期)- 安土桃山時代生誕 不詳死没 天正9年12月19日(1581年1月13日)改名 弥太郎(幼名)→ 照重 → 全罷(法名)別名 平左衛門主君 北条氏康 → 氏政氏族 備中笠原氏(越前守家)父母 父:笠原康勝、母:不詳子 重政テンプレートを表示 笠原 照重(かさはら てるしげ)は、戦国時代の武将。後北条氏の家臣。3代目武蔵小机城城代。笠原康勝の子。叔父に康明と義為がいる。 生年は不詳。北条五色備の白備え大将で、武蔵小机城城代を務めた笠原康勝の子とされる[1]。父の死後、小机城の城代を引き継いだとみられる。 後北条氏の家臣で小机衆の一人であり、武蔵小机師岡と西郡柳下で108貫文と御蔵島20貫文を給されていた[1]。 天正9年(1581年)12月19日、武田勝頼に内通した戸倉城主・笠原政晴(越前守家とは同族の美作守家)に攻められ伊豆戸倉で討ち死にした[1]。一族の笠原広定も従軍しており、照重とともに討ち死にている。[2] 子孫 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索?: "笠原照重" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2019年1月) 嫡子の笠原重政は後に徳川氏に属して天正19年(1591年)都筑郡台村を領し、子孫は200石の旗本として続いた。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 『戦国人名事典 コンパクト版』、239ページ上段左 ↑ 『横浜市史稿』1973年、794頁。 参考文献 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年9月。ISBN 4-404-01752-9。 Related Articles