第2次田中角栄内閣 (第2次改造)

日本の内閣 From Wikipedia, the free encyclopedia

第2次田中角栄第2次改造内閣(だいにじたなかかくえいだいにじかいぞうないかく)は、自由民主党総裁の田中角栄が第65代内閣総理大臣に任命され、1974年(昭和49年)11月11日から同年12月9日まで続いた日本の内閣

内閣総理大臣 第65代 田中角栄
成立年月日 1974年(昭和49年)11月11日
終了年月日 同年12月9日
与党・支持基盤 自由民主党
概要 内閣総理大臣, 成立年月日 ...
第2次田中角栄第2次改造内閣
皇居での認証式を終えたのち官邸で恒例の記念撮影に臨む閣僚。
内閣総理大臣 第65代 田中角栄
成立年月日 1974年(昭和49年)11月11日
終了年月日 同年12月9日
与党・支持基盤 自由民主党
内閣閣僚名簿(首相官邸)
テンプレートを表示
閉じる

第2次田中角栄第1次改造内閣改造内閣である[注釈 1]

内閣の顔ぶれ・人事

所属政党・出身
  自由民主党   中央省庁

国務大臣

さらに見る 職名, 氏名 ...
職名 氏名 出身等 特命事項等 備考
内閣総理大臣 田中角栄 衆議院
自由民主党田中派
自由民主党総裁
法務大臣 浜野清吾 衆議院
自由民主党(椎名派
再入閣
外務大臣 木村俊夫 衆議院
自由民主党(無派閥)
留任
大蔵大臣 大平正芳 衆議院
自由民主党(大平派
留任
文部大臣 三原朝雄 衆議院
自由民主党(水田派)
初入閣
厚生大臣 福永健司 衆議院
自由民主党(大平派)
再入閣
農林大臣 倉石忠雄 衆議院
自由民主党(福田派)
留任
通商産業大臣 中曽根康弘 衆議院
自由民主党(中曽根派
留任
運輸大臣 江藤智 参議院
自由民主党
初入閣
郵政大臣 鹿島俊雄 参議院
自由民主党
初入閣
労働大臣 大久保武雄 衆議院
自由民主党(大平派)
初入閣
建設大臣 小沢辰男 衆議院
自由民主党(田中派)
初入閣
自治大臣
国家公安委員会委員長
北海道開発庁長官
福田一 衆議院
自由民主党(船田派)
再入閣
内閣官房長官 竹下登 衆議院
自由民主党(田中派)
再入閣
総理府総務庁長官
沖縄開発庁長官
小坂徳三郎 衆議院
自由民主党(無派閥)
留任
行政管理庁長官 細田吉蔵 衆議院
自由民主党(福田派)
留任
国土庁長官 丹羽兵助 衆議院
自由民主党(三木派)
初入閣
防衛庁長官 宇野宗佑 衆議院
自由民主党(中曽根派)
初入閣
経済企画庁長官 倉成正 衆議院
自由民主党(中曽根派)
初入閣
科学技術庁長官 足立篤郎 衆議院
自由民主党(田中派)
再入閣
環境庁長官 毛利松平 衆議院
自由民主党(三木派)
留任
閉じる

内閣官房副長官・内閣法制局長官・総理府総務副長官

さらに見る 職名, 氏名 ...
職名 氏名 出身等 備考
内閣官房副長官 梶山静六 衆議院/自由民主党 政務担当
1974年(昭和49年)11月15日任
川島廣守 官僚 事務担当 
内閣法制局長官 吉國一郎 官僚
総理府総務副長官 高鳥修 衆議院/自由民主党 政務担当
1974(昭和49年)年11月15日任
皆川迪夫 官僚 事務担当
閉じる

政務次官

内閣の動き

田中政権は、列島改造計画狂乱物価により頓挫して支持率が下落している最中、1974年10月に田中金脈問題が発覚。田中本人は、同時に明るみに出た女性スキャンダルが相まって精神的に堪え、辞意を漏らす。

後継候補としては、主要派閥として最後まで主流派に留まった宏池会大平正芳への禅譲が目論まされた他、椎名悦三郎党副総裁が入閣し、年内いっぱいは田中の病気による首相代行として様子を見る、という「椎名暫定政権構想」案も出る。しかし、10月下旬の田中首相の外遊の間、田中、大平両派の幹部の協議により、一旦改造を行って両派で政権中枢を固め、そのまま頃合いを見て大平に引き継ぐ、という方針が決まる。11月11日、近いうちの総辞職見込みで内閣改造が行われ、田中が自派の後継候補と見定めた竹下登が内閣官房長官として政権の要に座る。

この時点で田中は、スキャンダルの追及による極度の疲弊から、辞任は既定路線になっていた。11月中旬のジェラルド・R・フォード米大統領の国賓訪日への接遇を終えた後の11月26日、退陣表明。後継は、田中の盟友である大平と、田中と党を二分する勢力を有していた福田赳夫との対立となる。両者の間での決着はつけがたかったことから、反主流派であるながら直接の田中批判を控えていた三木武夫が、中間的な妥協点として選ばれることとなった[1]

改造して29日間しか存続しなかったため、短命閣僚も出てきた。防衛庁長官に就任したばかりだった宇野宗佑は離任式で「国を守る防衛庁長官がどうしてくるくる代わるのか」と話した。また江藤智運輸相、鹿島俊雄郵政相及び大久保武雄労働相は、この内閣が最初で最後の入閣となったため、わずか29日間しか閣僚を経験していない。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI