第一次リンカーンの戦い
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| 第一次リンカーンの戦い | |
|---|---|
| 無政府時代中 | |
ヘンリー・オブ・ハンティンドンの著作『イングランド人の歴史』に描かれたリンカーンの戦い | |
| 戦争:無政府時代 | |
| 年月日:1141年2月2日 | |
| 場所:イングランド、リンカーン | |
| 結果:アンジュー派の勝利 | |
| 交戦勢力 | |
| ブロワ家 | アンジュー家 |
| 指導者・指揮官 | |
| スティーブン王 (捕虜) | イングランド貴族
ウェールズ貴族 |
| 戦力 | |
| 1,250 | 1,000 |
| 損害 | |
| 不明 | 不明 |
リンカーンの戦い(リンカーンのたたかい、第一次リンカーンの戦いとも。)は、1141年2月2日、内戦中のイングランド、リンカーンにおいて、イングランド王スティーブンの軍勢と、マティルダ皇后に忠誠を誓う勢力との間で勃発した戦闘である。スティーブンはこの戦いの最中に捕らえられて投獄され、事実上廃位された。その間、マティルダが短期間ながら統治を行った[1][2]。
1141年2月2日、スティーブン王の軍勢はリンカーン城を包囲していたが、マティルダ皇后の異母兄、グロスター伯ロバート率いる救援軍の急襲を受けた。
アンジュー派の軍勢は、ロバートの部隊、チェスター伯ラヌルフの部隊、そしてスティーブンによって所領を奪われた者たちによって構成されていた。また側面には、ポウィス領主マドグ・アプ・マレドゥッズおよびカドワラドル・アプ・グルフィズに率いられたウェールズ兵の大群が控えていた。カドワラドルはグウィネズ王オーウェンの弟であったが、オーウェン自身は無政府時代のいずれの側も支援しなかった。対するスティーブン軍には、ウィリアム・オブ・イーペル、サイモン・オブ・センリス、ハートフォード伯ギルバート、オマール伯ウィリアム、アラン・オブ・リッチモンド、ヒュー・ビゴッドらが参陣していたが、騎兵戦力が著しく不足していた。
戦端が開かれるや否や、有力な大貴族の大半が王を見捨てて逃亡した。王と共に捕虜となった他の重要貴族には、ボールドウィン・ド・クレア、バーナード・ド・バリョール、ロジャー・ド・モーブレー、リチャード・ド・クールシー、ノッティンガムのウィリアム・ペヴェレル、ギルバート・ド・ガント、インゲルラム・ド・セイ、イルバート・ド・レイシー、リチャード・フィッツアースらがいた。これらはいずれも名門貴族の家系であったが、逃亡したのは伯爵(Earl)級の貴族らであった。
国王の代理人ボールドウィン・フィッツギルバートが王軍に対して訓示を述べている最中にも、接近する敵軍の物音が聞こえ、やがて所領を奪われていたアンジュー派の騎士たちが5人の伯爵率いる騎兵隊に突撃した。左翼ではオマール伯ウィリアムとウィリアム・オブ・イーペルが、武装こそ不十分だが気力に満ちたウェールズ部隊を攻撃して粉砕したものの、直後に「光り輝く甲冑」を纏い集団の中で一際目立っていたラヌルフ伯率いる秩序だった精鋭部隊によって、一瞬にして撃退された。数と武勇で圧倒された伯爵たちは間もなく敗走し、その配下の多くが殺害されるか捕虜となった。スティーブン王とその騎士たちは、瞬く間にアンジュー派の軍勢に包囲された。

その時、戦いの恐るべき様相が眼前に広がった。王の軍勢の周囲では、いたるところで剣と兜が打ち合い、火花が散っていた。凄まじい激突、恐るべき喧騒が沸き起こり、丘々は山彦し、市壁は鳴り響いた。敵軍は馬に拍車を当てて王の部隊に突撃し、ある者は斬り殺し、ある者は負傷させ、またある者は引きずり出して捕虜とした。休息も、息つく暇も与えられなかった。ただ、比類なき一撃の威力を恐れた敵が近寄れなかった、あの最も勇敢なる王の周囲を除いて。チェスター伯はこれに気づくと、王の栄光を妬み、全装甲兵の重みをかけて王に襲いかかった。その時、王の武勇は落雷の如く示された。巨大な戦斧を振るってある者を殺し、ある者を打ち倒した。
怒号が再び上がり、全員が王に、王が全員に向かって突き進んだ。ついに度重なる打撃によって、王の戦斧は真っ二つに砕け散った。王は即座に右手に、王に相応しき剣を引き抜き、驚くべき戦いぶりを演じたが、やがてその剣までもが粉砕された。
これを見た有力な騎士ウィリアム・カハムネス(ウィリアム・ド・ケインズ)[3]は、王に突進してその兜を掴み、大声で叫んだ。「皆の者、こちらへ来い! 私は王を捕らえたぞ!」
王の部隊の残兵は、脱出の希望がないまま、全員が戦死するか降伏するまで戦い続けた。ボールドウィン・フィッツ・リチャードとリチャード・フィッツ・アースは、多くの傷を負い、その断固たる抵抗によって不滅の名誉を得た後に捕虜となった。
市街地における激戦の末、スティーブンの軍勢は敗北した[1]。スティーブン自身も捕らえられてブリストルへ送られ、投獄された。彼はその後、同年9月のウィンチェスターの敗走で捕らえられたグロスター伯ロバートとの捕虜交換によって解放された。これにより、スティーブンとの戦争におけるマティルダの一時的な優位は終焉を迎えた[2]。
フィクションにおける描写
本戦役は、ケン・フォレットの歴史小説『大聖堂』において、スティーブン王の捕縛やその後の捕虜交換を含め、概ね史実通りに描かれている。
同様に、シャロン・ケイ・ペンマンの『When Christ and His Saints Slept』においても叙述されている。
また、エリス・ピーターズによる「修道士カドフェル」シリーズの小説『死者の身代金』においても、重要なプロット要素として登場する。
グラハム・シェルビーによる旧作小説『The Villains of the Piece』(別題:Oath and the Sword)にも、第一次リンカーンの戦いを描いた章が存在する。
さらに、2021年にマイクロソフトから発売されたビデオゲーム『Age of Empires IV』では、キャンペーン・ミッションの一つとして第一次リンカーンの戦いが取り上げられている。