笹崎勝己
日本のプロレスレフェリー (1965-2025)
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経歴・人物
全日本女子プロレス、プロレスリングZERO1、栃木プロレス、マリーゴールドと、手広く試合を裁くレフェリー。
全日本女子プロレス時代には、「ハリセン太郎」を名乗り、ミゼットプロレスも裁いた。
技の誤爆が絵になるレフェリーとしても知られる。特に男色ディーノ絡みの2試合では壮絶な誤爆と反則攻撃を食った。
晩年はZERO1とNWA-PPF(NWAパンパシフィックフェデレーション)の審判部長を務める一方、スターダムでもバーブ佐々木(大日本プロレス)と交代で裁いていた。
2018年7月、ZERO1の運営会社・ドリームオンステージの代表取締役社長に就任し[2]、2020年3月まで務めた[4]。2024年5月に旗揚げされたマリーゴールドに参加してメインレフェリーを務めたが、2025年2月に同団体を卒業して翌月には岩手県北上市に家族で移住し、同市和賀町岩崎新田にある瀬美温泉の温泉旅館の従業員として住み込みで従事していた[4][5]。この温泉旅館はかつてZERO1を一時運営していた笹崎の旧知の人物が経営しており、レフェリー時代は巡業も多かったことから家族で一緒に暮らしたいとの意向もあり、誘いを受ける形で妻と2人の子とともに家族で同所に移住した経緯があった[6]。
熊害により死去
2025年10月16日午前、露天風呂の清掃に従事していた際に行方不明となり、露天風呂の周囲にメガネやスリッパが散乱し、多数の血痕とクマと思われる毛が残されていた。捜索の結果、翌17日午前に近くの雑木林の中で背中や首などを損傷した身元不明の男性の遺体が発見され、近くにいた体長1.5mほどの成獣のツキノワグマが地元の猟友会により駆除された[7]。その後、岩手医科大学で行われた司法解剖と身体的特徴を照合した結果、遺体は笹崎と確認したと岩手県警が同月21日に発表した[8][9]。死因は出血性ショックとされている[8]。60歳没。
笹崎の葬儀は同月27日、従事していた瀬美温泉の社葬として北上市内の葬儀場で執り行われ、プロレス関係者などが参列した。パンチ田原と伊藤薫による弔辞と、テンカウントゴングによる弔鐘で送られた[10]。
エピソード
2011年4月9日、同月16日に行われるNWAインターナショナルライトタッグ選手権のレフェリーを担当したいとNWA本部及びNWA-PPF宛てに上申書を提出した。
その内容は
- 王者チーム(菅原拓也・怪人ハブ男組)がNWA公認レフェリーSUWAと結託し王者らしからぬ試合を行っていること
- 16日に行われる選手権もレフェリーはSUWAさんじゃないと受けないとのこと
- NWA最高レフェリーであるフレッド氏が、プロレスリングの試合ではレフェリーは絶えず「フェア」でなければならないと考えていること。その考えを元に絶えずフェアなレフェリーを心がけそして行っていること。
が記載されており、王者チームの悪い行動の写真と試合の動画(3月6日と3月27日の試合)も添付されていた。
それに対してNWA-PPFは同日、6日の選手権は全てが王者チームとレフェリーの故意的な行動と判断する事は出来ないが、27日の試合では本来公平である立場のレフェリーが王者組に深く関与しているような感じを受けたので、NWA-PPFとしては笹崎が担当することをNWA本部に申し出たと発表した。
しかし、翌日のNWA本部の正式発表では
- SUWAレフェリーのレフェリングに大きな問題が見受けられない
- レフェリーを笹崎氏に任命した場合、過去の思い違いから挑戦者チームに有利なレフェリングを行う可能性がある
- 笹崎レフェリーは同日にNWA世界ヘビー級を裁かなければならず、彼自身の負担が大きくなる
との発表がなされ、予定通りSUWAがメインレフェリーとして試合を行うこととなったが、笹崎もサブレフェリーとして選手権を行うことになった。