箕作秋吉
日本の作曲家
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経歴
生い立ちと学生時代
1895年10月21日、東京市に生まれる[1]。誠之小学校、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を経て、第一高等学校工科に学んだ[1]。中学在学中から作曲を試みているが、父の反対により音楽の道に進むことは一度断念している[1]。
1918年に第一高等学校を卒業し、同年東京帝国大学工学部応用化学科に入学、1921年に卒業した[1]。在学中は楽友会の演奏会で指揮をとるなど、音楽活動を続けている[1]。
ドイツ留学
1921年に渡欧し、ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所(現在のマックス・プランク研究所)で物理化学を研究するかたわら、ゲオルク・シューマンに和声学を師事した[1][3]。1924年に同研究所を退き、1925年に帰国した[1]。
帰国後
帰国後は海軍技術研究所に勤務するかたわら、池譲に対位法を、池内友次郎にデュボワの対位法とフーガを、菅原明朗に編曲法を、ヨゼフ・ケーニヒに管弦楽法を、ヨーゼフ・ローゼンシュトックに指揮法を学んだ[1][3]。本人は本格的な創作の開始を1926年としている[4]。
1929年に『国民音楽に就て』を発表して「日本的和声」を提唱し、1930年には清瀬保二らとともに新興作曲家連盟を創設した[1]。1932年には同連盟の会合で五度和声について講演を行っている[1]。
1930年代には作品が国際的に紹介され、1935年に『小交響曲(シンフォニエッタ)』がヨーロッパで出版、翌1936年に同曲がラジオ・パリで放送された[1]。1937年12月には『芭蕉紀行集』がアルベルト・レオーネの指揮によりラジオ・パリで放送されている[1]。
1939年、学位論文『煙粒子の荷電に関する実験』により大阪帝国大学から理学博士の学位を得た[1][5][6]。1940年には勲五等瑞宝章を受けた[7]。戦時中は海軍の技術者として化学関係の研究・調査に従事し、1944年には海軍から技術者功章を受けている[7]。
戦後
1945年10月に海軍を依願免職となり、以後は作曲家として専業となって映画音楽・放送音楽・校歌・童謡の分野でも活動した[7]。1946年、新興作曲家連盟を改組した日本現代音楽協会の設立に参加し、同年茅ヶ崎に転居した[7]。1948年には日本放送協会の契約作曲家となっている[7]。
1950年6月23日から30日にかけてブリュッセルで開催された第24回国際現代音楽協会(ISCM)音楽祭で、『芭蕉紀行集』(Ten Haikai of Bashō)が演奏された[注釈 1][要出典][7][9]。1954年には第29回国際現代音楽祭(バーデン=バーデン)提出曲の審査員を務め、同年『ピアノ協奏曲』が尾高賞の佳作に選ばれた[7]。
1950年代以降は国際音楽評議会(IMC)日本委員会の役員を務めるなど国際交流に携わり、1955年には東南アジア音楽会議(マニラ)に日本代表として出席、1958年にはソビエト連邦文化省の招きで訪ソした[7]。1959年には門下生により「新扇会」が結成された[7]。1961年に東洋音楽大学(現・東京音楽大学)教授に就任[7]。1964年にはジョルジュ・エネスコ国際コンクール声楽部門の審査委員としてルーマニアに招かれた[7]。1970年度の紫綬褒章受章が決定している[7]。
音楽理論「五度和声論」
箕作は自著『音楽の時』(1948年)において、自身の和声理論の形成過程を次のように整理している[4]。
- 1928年の『二つの詩』、1929年の『小曲集』の作曲を通じて、東洋的な旋律には従来の西洋和声とは異なる音体系があるとの確信を得た[4]。
- 研究の対象として、(1) ドイツ近代和声法(特にシェーンベルクの四度和声、リーマン系統のライプツィヒ派の理論)、(2) ドビュッシー(全音音階)やラヴェルが東洋的素材を扱った際の音体系、(3) 日本と近似した旋律をもつロシア音楽の和声、の3つを挙げた[4]。
- 1929年、田辺尚雄『日本音楽講話』とシェーンベルクの『和声学』により、日本音階が五度の音列から出発していること、およびシェーンベルクの四度和声が五度音列と密接な関係をもつことを知った[4]。
- 「日本的な和声」の基礎は、根音に対する振動数比が (n = 0, 1, 2, 3, …)で表される諸音から成り立つ五度和声であるとした。すなわち C・G・D・A・E… という上向の五度音列に基づく[4]。
- シェーンベルクの四度和声は で表される下向の五度音列(C→F→B→Es→As→Des→Ges…)による和声であり、五度和声のイマジナリーサイド(ヨーロッパの短調に相当するもの)と位置づけた[4]。
箕作自身は、この理論に基づく作品のうち最も成功したものとして『芭蕉紀行集』を挙げ、逆に理論を意識的に適用した『シンフォニエッタ』第3楽章「日本風サラバンド」とあわせて、両曲を純粋な実験的作品と評している[4]。
主な作品
作品番号のあるものを中心に示す。歌曲の詞作者・作曲年は原則として『箕作秋吉・芭蕉紀行集』所収の「歌曲作品年表」による[11]。
管弦楽曲・協奏曲
- 『二つの舞曲』作品1(1926年、管弦楽曲。母校の第一高等学校に献呈)
- 『二つの詩』作品5(1927年、管弦楽曲。1948年にチェロとピアノのための組曲に編曲)
- 『壮んな夏』(1936年、管弦楽曲)— ベルリンオリンピック芸術競技(音楽)出品作品[12]
- 『古典小交響曲ニ長調(シンフォニエッタ)』作品14(1934年)(チェレプニン・コレクション No.7)
- 『交響曲第1番 ヘ調』作品20(1939年、3楽章。第1楽章「序曲《大地を歩む》」、第2楽章「間奏曲《大洋の挽歌》」、第3楽章「終曲《凱旋行進曲》」)
- 管弦楽序曲『大地を歩む』(1940年)[8]
- 『日本古謡を主題とする管弦楽のための3楽章』(作曲者は「交響曲第2番」と位置づけている)
- 『ヴァイオリンと管弦楽のためのソナタ(小協奏曲)』作品15-2(1948年、作品15-1に基づく)
- 『ピアノと室内管弦楽のための小協奏曲』作品27-1(『芭蕉紀行集』第7曲「荒海や佐渡によことふ天の川」を主題とする)
- 『ピアノ協奏曲』作品27-2(作品27-1の3管編成への改作)
室内楽曲・器楽曲
- 『ローマン組曲』作品3(1927年、ピアノ組曲。管弦楽版は後に破棄)
- 『古典組曲』作品4(1927年、ピアノ組曲)
- 『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ヘ長調』作品15-1(1935年、『芭蕉紀行集』第5曲「あらたふと青葉若葉の日のひかり」を主題とする)
- アンダンテとアレグロ
- ラルゲット
- 民謡調ロンド
- 『花に因んだ3つのピアノ曲』作品16(1935/1940年)
- 夜の狂詩曲
- さくら、さくら
- 春のやよい
- 『二つの詩』(1948年、チェロとピアノのための組曲。作品5の編曲)
- チェンバロのためのメヌエット ト長調
声楽曲
- 組曲『亡き子に』作品2(1927年、管弦楽または(歌曲版では)ピアノ伴奏。演奏時間約15分[13])
- 前奏曲(管弦楽のみ)
- 讃歌(作曲者 詞)
- 子守唄(作曲者 詞)
- 悲歌(海の幻し)(沙良峰夫 詞)
- 『小曲集』作品6(1929年、作曲者の詞。ピアノまたは管弦七重奏(フルート、クラリネット、ピアノ、弦楽四重奏)伴奏[13])
- 五月雨
- 冬の夕
- 唖娘
- 『閨秀叙情詩集』作品7(1930-1931年、ピアノまたは管弦七重奏伴奏[13])
- 唄(ギターをとりて)(山口宇多子 詞)
- 火をいだく(品川陽子 詞)
- 櫟林の接吻(品川陽子 詞)
- 春宵(岡田淑子 詞、フルート伴奏)
- 女(深尾須磨子 詞)
- 『芭蕉紀行集』作品8(1930-1931/1937年、松尾芭蕉の句による。ピアノ伴奏歌曲集/管弦楽伴奏歌曲集/室内管弦楽のための音詩[13])
- 野ざらしを心に風のしむ身かな
- 馬にねて残夢月遠し茶のけむり
- 海くれて鴨の声ほのかに白し
- 冬の日や馬上に氷る影法師
- あらたふと青葉若葉の日のひかり
- 閑かさや岩にしみ入る蝉の声
- 荒海や佐渡によことふ天の川
- 五月雨の空吹きおとせ大井川
- 菊の香や奈良には古き仏達
- 旅に病て夢は枯野をかけ廻る
- 『現代詩集 第一集 四季篇』作品9(1931年、ピアノ伴奏)
- 『現代詩集 第二集 動物篇』作品10(1932年、ピアノ伴奏)
- 『現代詩集 第三集』作品11(1933-1935年、ピアノ伴奏)
- 積雲の歌(尾崎喜八 詞)
- 死(金井融 詞)
- 熱帯海(前田鉄之助 詞)
- 靴みがきの唄(長田恒雄 詞)
- 『逝ける人に』作品12(ピアノまたは管弦楽伴奏)
- 落葉(1936年、山村耕二 詞)
- 僧院と尼僧(1929年、三木露風 詞)
- 『啄木短歌集』作品13(1934-1936年、石川啄木の短歌による。ピアノまたは管弦七重奏伴奏[13])
- 雨に濡れし
- わかれ来て
- こころみに
- 友がみな
- 秋の夜の
- 『三つの悲歌』作品17(1943年、ピアノまたは管弦楽伴奏)
- 『三つの歌』作品18(1945-1946年、ピアノ伴奏合唱曲集)
- 『働く人のために』作品19(1947年、ピアノ伴奏合唱曲集)
- このうち「世界をつなぐ花の輪に」は1947年のメーデーで歌われた[7]。
- 『現代詩集 第四集』作品24(1952年、ピアノまたは管弦八重奏伴奏[16][15])
- 朝の憩い
- 煙となって
- 幻聴
- 妹に
- 『現代詩集 第五集』(1951年、ピアノ伴奏[16])
- 岩手病院
- 我が家の台所
- しらなみ
- おもかげの雲
- 『童謡集』作品25(1951-1955年、ピアノ伴奏[16])
- 『子供のための組曲』作品25(1952年、吉村比呂 詞、ピアノまたは管弦八重奏伴奏[16])
- 雨の歌
- 虹の橋わたろ
- シャボン玉
- 子猫と手袋
- 『子供のための組曲』作品26(1955年、吉村比呂 詞、ピアノ伴奏[16])
- リンゴ
- バナナ
- ミカン
- 八百屋
- 『日本民謡集II(重唱)』作品28(ピアノ伴奏[16])
- 『日本民謡集III(六つの農作業歌)』作品30[16]
- 草刈唄
- 麦搗唄
- 田植唄
- 田の草取唄
- 盆踊唄
- 籾摺唄
- 『日本民謡集IV』(1957年[16])
- 『子供の生活から』(ピアノ伴奏[16])
- 管弦楽伴奏歌曲『三つの詩』
- 『挽歌』(聶耳の霊に捧ぐ)
- 『お月さま』(童謡)
- 『子供の報告』