箕田卓哉

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1977-11-02) 1977年11月2日(48歳)
身長
体重
180 cm
81 kg
箕田 卓哉
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県中郡大磯町[1]
生年月日 (1977-11-02) 1977年11月2日(48歳)
身長
体重
180 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1995年 ドラフト6位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

箕田 卓哉(みのだ たくや、1977年11月2日 - )は、神奈川県中郡大磯町[注 1]出身の元プロ野球選手外野手[1]

秦野リトル・シニアでは原俊介とチームメイトだった[2]神奈川県の中学校から東海大甲府高校に進学し、2年生だった1994年秋季大会からレギュラー入りした[3]。3年生になった1995年には春季山梨県大会打率.385、3本塁打、2三塁打を記録した[1][2]。同年の夏の県大会は2回戦で敗退した[1][4]

甲子園出場経験はなく、全国的には無名だったが[5]、1995年11月12日に日本ハムファイターズの入団テストを受験して合格[3]、同月23日のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから6位で指名され[3][6]、同月30日に契約金2000万年俸400万円で仮契約を結んだ[7][8]背番号は53[7][9][2]。東海大甲府高校からのドラフト指名選手は1991年萩原淳以来で、同校出身のプロ野球選手としては8人目だった[3]

しかし、1996年は一軍出場はなく、二軍でもイースタン・リーグ公式戦13試合に出場したのみで、2打席、2打数、無安打に終わった[10]。同年10月28日付で任意引退選手としてパシフィック・リーグから公示された[11][12]。本人曰く、体の不調で野球を断念せざるを得なくなったといい、今後は大学に進学して新たな目標を見つけたいと語っていた[13]

選手としての特徴・人物

身長180 cm体重81 kgと体格に恵まれていた[3]。パワーのある打撃[3]、遠投110メートルの強肩、50メートル走5秒7の俊足で、走攻守三拍子揃った選手と評されていた[2]。日本ハム球団編成部長の三沢今朝治は、箕田を「右のパワーヒッター」と評し、年平均20本塁打程度打てる俊足選手になることを期待していた[7]。東海大甲府高校野球部監督の大石裕曰く、負けん気が強く、プロ意識があったという[3]。本人はチームの先輩である広瀬哲朗のような明るい選手、また打撃面では江藤智を目標にしていた[3]

趣味は洋服集め、ショッピング[2]。好みのタイプの女性には内田有紀を挙げていた[2]

詳細情報

脚注

関連項目

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