箕田卓哉
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秦野リトル・シニアでは原俊介とチームメイトだった[2]。神奈川県の中学校から東海大甲府高校に進学し、2年生だった1994年の秋季大会からレギュラー入りした[3]。3年生になった1995年には春季山梨県大会で打率.385、3本塁打、2三塁打を記録した[1][2]。同年の夏の県大会は2回戦で敗退した[1][4]。
甲子園出場経験はなく、全国的には無名だったが[5]、1995年11月12日に日本ハムファイターズの入団テストを受験して合格[3]、同月23日のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから6位で指名され[3][6]、同月30日に契約金2000万円、年俸400万円で仮契約を結んだ[7][8]。背番号は53[7][9][2]。東海大甲府高校からのドラフト指名選手は1991年の萩原淳以来で、同校出身のプロ野球選手としては8人目だった[3]。
しかし、1996年は一軍出場はなく、二軍でもイースタン・リーグ公式戦13試合に出場したのみで、2打席、2打数、無安打に終わった[10]。同年10月28日付で任意引退選手としてパシフィック・リーグから公示された[11][12]。本人曰く、体の不調で野球を断念せざるを得なくなったといい、今後は大学に進学して新たな目標を見つけたいと語っていた[13]。