箸尾氏
From Wikipedia, the free encyclopedia
本拠と居城
長川党
室町時代
応永年間、箸尾為妙は筒井氏と戦ってこれを破っている[7]。のち幕府は十市遠重とともに為妙を討とうとし、両者の跡地はそれぞれ興福寺と春日社へ寄進された[8]。この一連の記事で、幕府側の史料は十市・箸尾をいずれも「大和国民」と記している[8]。
応仁の乱の前後、箸尾氏の去就は一定しない。筒井順弘方には古市氏・越智氏・布施氏・豊田氏とともに箸尾氏が加わっていたが[9]、文明3年(1471年)7月には筒井氏・十市氏とともに畠山義就方の若江城を攻めている[9]。文明14年(1482年)10月には、筒井党の十市氏と越智党の箸尾氏がそれぞれ500余の手勢で対峙しており、このころには越智方に転じていた[9]。