米澤蓮
日本のプロゴルファー (1999-)
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経歴
岩手県盛岡市出身[2][3]。テレビのゴルフ中継を見て興味を持ち、小学3年次のある休日に家族でニトリに買い物に行くも、開店時間を1時間間違え、早く着いてしまうが、その隣にあったのがゴルフ練習場で、「ボクもやってみたい」のひと言がゴルフとの出合い[3][4]。ほぼ独学で腕を上げて小学生時代から多くの大会で優勝してきた[5]。『東北ジュニア』は各カテゴリーで計5勝、盛岡中央高等学校時代は『東北高校選手権』を3連覇した[5]。東北福祉大学に進んだ2018年からはナショナルチームでも活躍。2018年、インドネシアで開催された『第18回アジア競技大会ゴルフ競技』の団体で金谷拓実、今野大喜、中島啓太と共に5大会20年ぶりの日本チーム金メダルを獲得[6]。金谷、今野、大澤和也とのチームで挑んだ『第18回ネイバーズトロフィーチーム選手権』では日本チームに初の2連覇をもたらす[7]。プロの試合でも存在感を示し、2019年の『アジアパシフィックオープン』では15位から68をマークして猛追。優勝した浅地洋佑には1打及ばなかったが2位に食い込むなど、アマチュアとしてプロの試合に13試合出場して予選落ちがわずかに1試合という成績を残す[4]。
2021年のファイナルQTを55位で終えた時点でプロ転向。しかし2022年シーズンは「パットでどこに構えているかも分からなくなった」と、イップスと呼ばれる症状に悩まされる[8]。オフの2023年春にアマ時代に所属したナショナルチームのジョーンズ・コーチのつてを頼って、豪州ツアーに挑戦し、初戦の8位を皮切りに、計4戦に出場しながら「パターを変えたり、打ち方を変えたり。試合で試せたのが一番」と、改善の兆し見せる[8]。2023年は『カシオワールドオープン』で惜しくも1打及ばず初優勝は持ち越しとなったほか『パナソニックオープンゴルフチャンピオンシップ』でも2位となる。
2024年5月、『中日クラウンズ』で最終日2打差の3位タイからスタートして6バーディー、1ボギーの65で回り、通算13アンダーでツアー初優勝を飾り、岩手県出身選手で初の男子ツアー優勝者となった[9]。同年8月の『横浜ミナト Championship 〜Fujiki Centennial〜』で最終日を2打差の2位で出て、7バーディー、ノーボギーの64をマークし逆転優勝で今季2勝目を挙げた[10]。
2025年12月31日、自身のSNSで結婚していたことを報告した[11]。
2026年4月26日、『前澤杯』最終日に単独首位で出て6バーディー、1ボギーの67で回り、通算23アンダーで並んだ宋永漢とのプレーオフを制して2年ぶりのツアー3勝目を挙げた[12]。