精進湖
From Wikipedia, the free encyclopedia
成因
富士河口湖町の公表しているデータでの湖面の標高は900.0メートルで、同じ富士五湖の西湖や本栖湖と同じ数値となっている[4]。精進湖と西湖や本栖湖とは、透水性の高い溶岩で隔てられられているだけで、上流から西湖、精進湖、本栖湖の順に事実上つながっていると考えられている[5]。
精進湖は0.5平方キロメートルと富士五湖の中で最も湖水面積が狭い[6]。また、富士河口湖町の公表しているデータでの最大水深は15.2メートルとなっている[4][注 1]。自然流出河川はない[5]。
2013年(平成25年)6月22日、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産(富士山域)の一つとして、世界文化遺産(日本の文化遺産としては13箇所目)に登録された。
富士山の火山活動によって形成された堰止湖である。富士五湖の形成について、1980年代には古富士火山の活動末期に宇津湖や剗の海(せのうみ)などの富士四湖が形成され、新富士火山の活動の変遷に伴って、約千年前に形成されたと考えられ[8]、その後も宇津湖と剗の海(せのうみ)の存在を前提に説明される例もある[9]。一方で、2000年代以降の研究では忍野地域にあった古忍野湖は山中湖の前身の古山中湖とは別の形成史を示すことから、これらの湖が最初は宇津湖という大きな湖を形成していたという見方は否定的に考えられるようになっている[10][8]。
精進湖の形成については、山中湖、河口湖、本栖湖が形成された後、864年(貞観6年)の貞観大噴火の溶岩流によって剗の海のうち残っていた部分が精進湖と西湖に分断された[5][9]。この際には、溶岩流が湖水と接触したことによって水蒸気爆発が起こり、半円形のクレーターが形成されている(北緯35度29分18.5秒 東経138度36分35.6秒 / 北緯35.488472度 東経138.609889度)[11]。
名前の由来
精進湖という湖名は、富士参詣者が湖で沐浴して精進潔斎したことに由来する説や、(かつての単一湖「剗の海」という名称も関連し)富士の背にあたることから「背地」(せのち)と呼ばれたとする説[注 2]がある(『甲斐国志』による)。
水質と生物相
富栄養湖でプランクトンが多く、湖色も緑色。1930年代の調査でも富栄養化していた[12]がそれ以降も富栄養化は進行している[13]ため、透明度は3メートル程度である。赤潮が発生することもある[14]。ヘラブナやワカサギ、ブラックバス[15]、タニシなどが生息している。
周辺
湖岸には、甲府から右左口宿を経て駿河国へ至る軍用道路である中道往還(現国道139号)が通る。精進湖北側から見る富士山は手前に大室山を配しているため、「子抱き富士」とも呼ばれる[6]。前景は青木ヶ原樹海であり、樹海の中に中道往還(国道139号)が走っているため、精進湖北側から望む富士山は手前に建造物がなく樹海の緑に覆われ、絶景である。
かつては湖北部に集落があったが、西湖で増水による被害が発生したのを受け、似たような地形にあった集落は、1972年(昭和47年)頃に湖南部の中道往還(国道139号・358号)沿いの青木ヶ原樹海内に移住し、新居住地は移住地と呼ばれている。移住地には民宿が点在している。
中世の精進湖
観光
- イギリス人のハリー・スチュワート・ホイットウォーズは、1895年(明治28年)富士山が綺麗に見られる避暑地「ジャパン・ショージ」として日本国外に宣伝した。そのため多くの外国人観光客が訪れ、精進湖に当時日本有数の避暑地として「精進湖ホテル」が創業された。
- パノラマ台:子供の足でも1時間ほどで登れる、精進湖と本栖湖の間にある標高1325メートルの山。精進湖と本栖湖湖畔からハイキングコース入口があり、山下には本栖湖、精進湖、西湖、河口湖が見え、富士山と青木ヶ原樹海が一望でき、晴天ならば富士山の横から駿河湾が見え、北西部側には日本アルプスが望める絶景に出会える。
- 諏訪神社:天井には百人一首が描かれている。
- 精進の大杉:国の天然記念物で諏訪神社の入口にそびえる別名「千年杉」。御神木とされ高さ45メートル、根回り13.6メートル。
- 遊歩道:青木ヶ原樹海の中を通る東海自然歩道、自然観察路がある。