富士五湖
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形成史
自然流出する河川を持つ湖は桂川(相模川)の源流である山中湖のみで、残る4湖は内陸湖である。ただし、水位調整や発電用として河口湖、西湖、本栖湖には、それぞれトンネルによる人工放水路が作られており、中でも河口湖からの放水路は古くから新倉掘抜として下流域に水利権があるため、河口湖は相模川水系の一級河川となっている。
残る西湖、精進湖、本栖湖の3湖およびそこへ流入する河川は二級河川であるが、内陸県に二級河川が存在するのは全国でも、山梨県のこの3湖だけである。
なお、西湖、精進湖、本栖湖の3湖は湖面標高が同じで、湖水位の変化が連動していることから、地下水流動系としては連携していると考えられている[5]。
| 航空写真 | 湖名 | 面積 | 最大水深 | 周囲 | 水面の標高 | 貯水量 | 座標 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| もとすこ 本栖湖 |
4.70 km2 | 121.6 m | 11.82 km | 900 m | 0.316 km3 | 北緯35度27分50秒 東経138度35分8秒 | |
| しょうじこ 精進湖 |
0.50 km2 | 15.2 m | 6.80 km | 900 m | 0.0035 km3 | 北緯35度29分27秒 東経138度36分30秒 | |
| さいこ 西湖 |
2.10 km2 | 71.7 m | 9.85 km | 900 m | 0.08085 km3 | 北緯35度29分53秒 東経138度41分11秒 | |
| かわぐちこ 河口湖 |
5.70 km2 | 14.6 m | 20.94 km | 830.5 m | 0.053 km3 | 北緯35度31分4秒 東経138度45分22秒 | |
| やまなかこ 山中湖 |
6.80 km2 | 13.3 m | 13.87 km | 980.5 m | 0.06392 km3 | 北緯35度25分0秒 東経138度52分30秒 |
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富士五湖の形成について、古文書などでは「せの湖」「旧河口湖」「宇津湖」等と呼ばれる湖が存在したと考えられていた[5]。1980年代には、まず古富士火山の活動末期に宇津湖や剗の海(せのうみ)などの富士四湖が形成され、新富士火山の活動の変遷に伴って約千年前に形成されたと考えられており[8]、その後も宇津湖と剗の海(せのうみ)の存在を前提に富士五湖の形成が紹介されている例がある[9]。
しかし、2000年代以降の研究では最初に宇津湖という大きな湖が形成されていたという見方は否定的に考えられるようになった[10]。
富士五湖のうち、山中湖周辺では1150年前と5000年前に開水域の拡大が見られる[8]。一方では現在に続く山中湖の成立を1850年前頃とする説、これを「古山中湖」として8世紀頃の鷹丸尾溶岩流の流下によって形成されたとする説があるなど、山中湖の形成についてはさらに検討が必要とされている[8]。
一方、西側の忍野地域では約1万年前に湖が形成されていたと考えられている[8]。溶岩流の流下が谷を閉塞して古忍野湖が誕生し、この古忍野湖の堰き止めなど(学説により異なる)によって河口湖は形成されたとみられている[5]。河口湖が形成されたのは約1万年前と推定されている[8]。
また、本栖湖は約2万年以前に「古本栖湖」ができた後、約8千年から1万年前に現本栖湖に続く湖が成立したと推定されるとの見方がある[8]。
精進湖や西湖の形成については、山中湖、河口湖、本栖湖が形成された後、864年(貞観6年)の貞観大噴火の溶岩流(青木ヶ原溶岩流)によって剗の海のうち残っていた部分が精進湖と西湖に分断された[5][9]。
赤池・忍野八海
非常に雨が多く降った時には、最も湖水面積が狭い精進湖の南東に「赤池」という長円形の小さな池が稀に姿を現すことがあり、これを「富士六湖」「富士五湖の6番目」などと言う。ただし、大きさは他の湖よりずっと小さく直径50m程度である。近年では1998年、2004年、2011年[11]などに見られた。
富士五湖に含まれない湧泉群の「忍野八海」は、元は山中湖とともに「宇津湖」という一つの湖であったものが、800年-802年(延暦19年-21年)の富士山延暦噴火により二つに分かれてできた「忍野湖」の名残であるとされたが、先述のように学術上では宇津湖の存在は否定されるようになっている[12][13][14]。
名前の由来
1927年(昭和2年)、東京日日、大阪毎日新聞(現毎日新聞)は、鉄道省後援で「日本新八景」選定のため国民の葉書投票を企画した。部門は湖沼・河川・温泉・山岳等八部門、富士北麓の各湖はそれぞれの名前で湖沼の部に投票をはじめていた。しかし、バラバラ投票では効果が上がらなかった。
江戸時代には富士講において現在の「富士五湖」に四尾連湖、明日見湖、泉津湖もしくは須戸湖を加えた「富士八海」の呼称は見られるが、「富士五湖」の呼称は見られない。「富士五湖」の呼称は、1977年(昭和52年)に富士急行から刊行された『富士山麓史』によれば「この時、堀内良平の胸にひらめいたのが『富士五湖』の名であった。(略)良平は新聞社に行き『富士五湖』の新名称で投票することの了解を取るとともに、自社の株主に一株一枚の投票を呼びかけた。締め切りまでに富士五湖に寄せられた票は360万票、湖沼の部日本一となったで ある。審査の結果「富士五湖」は「日本二十五勝」に選定された[1]。
世界遺産
富士山の世界遺産登録をめぐり、富士五湖を含めるかどうかについて、意見が分かれていた。
事の発端は、2006年に山梨県が「富士五湖を含めることで検討中」と発したところ、富士河口湖町と観光協会などが反発、これを受け、山梨県は一度は富士五湖を外すことになった。しかし、富士山が世界遺産暫定リストに登録された際、文化庁が「富士五湖を含めないと富士山として不完全」との見解を示したことから問題が再燃した。
富士河口湖町と観光協会が反対する理由として、富士五湖が世界遺産に含まれた場合、観光開発や富士五湖名物であるバスフィッシングやワカサギ釣りを含めた富士五湖の漁業が制限され、住民の生活に支障をきたすおそれがあるからである[15]。
2011年、世界遺産登録の前提としての、五湖の文化財指定申請が行われた[16]。
2013年6月22日には富士山の世界遺産登録が決定。河口湖と山中湖はそれぞれ個別の構成資産として、本栖湖、精進湖、西湖は「富士山域」という一つの構成資産の中の一部として五湖全てが世界遺産に登録された。
