純明孝皇后
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1872年に陽徳坊桂洞で誕生する。1882年に10歳で、2歳年下の世子(後の純宗)と婚礼を挙げ、世子嬪となる。この婚礼は、純宗の生母である王妃閔氏の意向が関わっていたという。義母である王妃も彼女と同じく、驪興閔氏の出身であり、また、異母兄の閔泳翊が、後嗣の無い王妃の実家に養子入りした縁もあった。1897年に大韓帝国が成立し、夫が皇太子となったため、皇太子妃となった。1904年、慶運宮康泰室で病のため、死去。享年32歳。子女は無かった。まだ純宗が即位する前に死去した為、生前皇后になることができなかった。初め京畿道楊州の裕康園に葬られ、1907年に純宗が即位すると裕陵に変わった。1926年南楊州市金谷洞に移され、現在は純宗と共に眠っている。また、諡号も皇太子妃のまま亡くなったため純明妃であったが、純宗即位に伴い皇后に格上げされた。