細井九皋 From Wikipedia, the free encyclopedia 細井 九皋(ほそい きゅうこう、宝永8年1月23日(1711年3月11日)[1] - 天明2年5月6日(1782年6月16日))は、江戸時代中期の日本の書家・篆刻家である。 名は知文、字を天錫、号は九皋の他に籀斎・沢雉道人がある。通称文三郎。江戸の人。 細井広沢の子。書家を生業とし、広沢の名声を継承した。著書に『墨道私言』がある。また篆刻も巧みで、明の何震に師法したとされる。明清の卑俗な装飾趣味に陥った印風を嫌った。印譜に広沢と共に作成した『奇勝堂印譜』がある。墓所は東京都世田谷区等々力の致航山感応院満願寺にある。 佐久間東川とは親交があり、書の上での先輩として感化を与えたと考えられる[2]。 参考文献 中井敬所篇「日本印人伝」『日本の篆刻』1966年 中田勇次郎編 二玄社 脚注 ↑ 「細井九皐」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社。https://kotobank.jp/word/%E7%B4%B0%E4%BA%95%E4%B9%9D%E7%9A%90。コトバンクより2025年7月8日閲覧。 ↑ 三村竹清『近世能書傳』二見書房、1930年、311頁。 関連項目 日本の篆刻家一覧 Related Articles