中田勇次郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
その他の勤務大学
- 京都の繊維問屋 中与商店の次男として京都市中京区に生まれる。父 佐久造は、家業の傍ら貫名海屋の門人に師事し書を能くし、母つるは茶花の栽培を得意とした。
- 幼少より恵まれた環境で育ち英才教育を受ける。
- 第三高等学校卒業後、京都帝国大学文学部支那語学支那文学科に入学する。当時、大学では内藤湖南や狩野君山らの伝統を受け継ぐ支那学が隆盛であり、鈴木虎雄、青木正児らに指導を受けて、主に宋詞について研究する。
- 1935年(昭和10年) - 大学院に進む。
- 1941年(昭和16年) - 大谷大学教授となる。
- 1954年(昭和29年) - 京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)の学生部長に転じる。
- 1963年(昭和38年) - 同大学学長となる(1965年まで)。
- 1969年(昭和44年) - 同大学を定年退職するが、大手前女子大学(現:大手前大学)教授に迎えられ文学部長を務める。
- 1976年(昭和51年) - 勲三等瑞宝章を授与。
- 1981年(昭和56年) - 文化庁から文化財保護審議会専門委員を委託される。
- 1987年(昭和62年) - 文字文化研究所所長に就任。後に理事長を兼務。
- 1987年(昭和63年) - 大手前女子大学を退職。
- 1990年(平成2年) - 京都市文化功労者として表彰される。
- 1997年(平成9年) - 文字文化研究所名誉会長となり、理事長・所長を高弟 白川静に譲る。
- 享年93。