総括制御 (トロリーバス)
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バスやトロリーバスの歴史において、収容力の増加は長年に渡る大きな課題であった。縦方向に車体を伸ばし定員数を増やす2階建てバスも解決策の1つであったが、トロリーバスにおいては重心の高さや速度、操作性の面において普及せず、代わりに各地で導入されたのが、連結棒を用いて動力がない車両を連結するフルトレーラー方式であった。ソビエト連邦(ソ連)においても利用客の増加に対応するため、1960年代以降トロリーバス車両の主電動機や走行機器を取り外して重量を軽減させた車両を後方に連結したフルトレーラー方式がモスクワ、レニングラード、キエフなど各地で試験的に導入された。しかし、これらの方法は後方に連結した車両の重量分の負荷が先頭車両にかかり走行機器の摩耗が急速に進み故障が相次いだ事、曲線走行時に双方の車両のタイヤの軌道が異なる事などの欠点が多く指摘され、本格的な実用化に至ることはなかった[1][4]。
海外でもこれらの欠点からフルトレーラー方式も主流にはならず、最終的にこれらの欠点を解消した連節バスが世界中で多数採用される事となったが、計画経済を導入していた共産主義国家のソ連では生産ラインの刷新が必要となる事から連節式トロリーバスの生産は1967年を最後に長年に渡って実施されず、導入は一部の輸入車両のみに限られていた。そのような状況下でも各都市でのトロリーバスの需要は増す一方であり、ドライバー不足やメンテナンス頻度の増加という面も含めてトロリーバスの輸送力増強は緊急の課題となっていた[1][2][4][5][6]。
そこで、現:ウクライナのキエフの技術者であったウラジーミル・フィリッポビッチ・ヴェクリチ(Владимир Филиппович Веклич)は、2台のトロリーバスを連結した上で電気回路や制動装置(空気ブレーキ)を接続し、先頭の車両から一括で操作する総括制御を導入する事を発案した。研究は1964年から開始され、2台の車両の機器の同期化、タイヤの軌道の統一など多数の課題が浮上しながらも、2年という期間の中でそれらの問題は解決され、試験を経て1966年6月12日からキエフ市内のトロリーバス(キエフ・トロリーバス)の路線を用いた営業運転が開始された[1][2][4][7]。
総括制御による2両編成のトロリーバスの導入成果は著しく、収容客数の増加のみならず、大量の車両を運用する必要がなくなった事でメンテナンス頻度や必要車両数の減少などの効果がもたらされ、1968年時点での経済効果は16万ルーブルを記録した。この成果を受け、ソ連各地の都市で同様の構造を有したトロリーバスによる連結運転が実施されるようになった[1][2][8]。
この総括制御運転については、1960年代当時のソ連においてこのような形態の車両を認める法律が存在しなかったために事実上違法であったが、導入が行われた各地の都市で一度も事故が起こらなかった事から黙認状態が続き、最終的に1976年に「トロリーバス列車(Поезд троллейбусный)」として合法化された経緯を持つ[2][3]。


