織田紘二

From Wikipedia, the free encyclopedia

織田 紘二(おりた こうじ、1945年3月1日 - )は、日本の伝統芸能の制作者、演出家脚本家著述家国立劇場(現・日本芸術文化振興会)で43年間勤務し、主に歌舞伎の制作・演出に携わった[1][2]2006年に日本芸術文化振興会理事に就任[1]。現在、日本演劇協会専務理事、日本舞踊協会副会長などを務める[2]

生い立ちと学生時代

1945年3月1日、北海道勇払郡安平村(現・安平町)字追分に、織田要と妻ミイの次男として生まれた[3]。父の要は地元追分町の町会議員を40年間務め、町議会議長を務めた[3]

地元の追分高校を卒業後、1963年4月國學院大學文学部日本文学科に入学[4]。同大学では西角井正慶高崎正秀岡野弘彦三隅治雄らから教えを受けた[4]

1964年5月歌舞伎座で初めて見た歌舞伎に衝撃を受け、当時廃部になっていた國學院大學歌舞伎研究会を再興した[5]。顧問は西角井正慶、指導は小笠原恭子が務めた[4]1966年、歌舞伎研究会の2周年記念イベントとして、初代中村吉右衛門の『盛綱陣屋』の記録映画を上映した際、記念会報に載せる祝辞を三島由紀夫に電話で依頼し、口頭による一文を得た[5]

この頃、小笠原の紹介で早稲田大学教授の郡司正勝から直接その教えを受けるようになった[1]。卒業論文は郡司に相談の上、『芸人部落の系譜―猿まわしの研究』を執筆し、指導教官の高崎正秀に提出した[6]。この卒業論文は700ページ余りの長大な論文で、それまでほとんど体系的には取り上げられることのなかった猿回しの芸能について、その発生から現代に至るまでの歴史を文献資料や絵画資料を使って実証的に論じたもので、三隅治雄の高い評価を得て、芸能学会の雑誌『藝能』にダイジェスト版が掲載された[6]

国立劇場での活動

早稲田大学大学院への進学を希望していたが、1966年10月国立劇場が開場し、郡司の推薦により1967年4月に国立劇場芸能部に入職した[1]。歌舞伎制作を行う制作室に配属され、文楽、舞踊、邦楽、雅楽、声明、民俗芸能等の制作を行う演出室も兼務し、歌舞伎だけでなく幅広く日本の伝統芸能の制作現場を体験する機会に恵まれた[1]

この間、国立劇場の非常勤理事をしていた三島由紀夫の書下ろし新作歌舞伎『椿説弓張月』(1969年)の制作助手となり、三島の知遇を得て、死の直前まで親交があった[7][8]。1969年4月から1970年11月までの約2年間、三島の助手として公私にわたり関わり、三島の自決2日前の1970年11月23日には、三島から『椿説弓張月』の文楽版脚本(上の巻)に朱入りした本を手渡された[8]。そのほかの作家では大佛次郎[9]北條秀司[10]川口松太郎[11]村上元三[12]、歌舞伎俳優では2代目尾上松緑[13]6代目中村歌右衛門[14]市川海老蔵(後の12代目市川團十郎)、尾上菊之助(後の7代目尾上菊五郎)、初代尾上辰之助[15]5代目坂東玉三郎、また松竹永山武臣(のち会長)、茂木千佳史(のち副社長)など幅広い交流を得た。

主として歌舞伎制作者としての道を歩み、主な制作公演は以下のとおりである。1986年、国立劇場開場20周年記念公演において、3ヶ月にわたる通し狂言『仮名手本忠臣蔵』の制作を担当し、当時の名だたる歌舞伎俳優を総動員して上演した[16]1996年開場30周年記念10月歌舞伎公演『四天王楓江戸粧』においては、制作・演出を担当した[17]。この公演は江戸時代に行なわれていた「顔見世興行」を再現したもので、市川猿之助一座による昼夜通し狂言として上演された[17]。また1997年同記念1月公演として行われた通し狂言『壇浦兜軍記』では制作を担当し、「阿古屋の琴責」の場において、6代目中村歌右衛門から5代目坂東玉三郎に芸の継承が行われた[18]。2006年開場40周年記念公演『元禄忠臣蔵』においては、制作・補綴・演出を担当し、真山青果による傑作新歌舞伎を史上初めて事件の時系列順に全幕上演、3ヶ月にわたる公演においてその全貌を明らかにした[19]

また、海外公演にも力を注いだ。1991年ジャパン・フェスティバル英国・アイルランド公演『葉武列土倭錦絵』の脚本・演出を担当した[20]。1994年、国際交流基金と協力し、日本オーストリア修好125周年公演の企画・制作・脚本を担当。『俊寛』を歌舞伎、文楽、能の三大伝統演劇によって上演し、ウィーン、ワルシャワ、プラハ、ロンドンの4都市で1万人以上の観客を動員した[21]。そのほか14か国で様々な公演などを行い、日本の伝統芸能の普及に貢献した。

その間、芸能部制作室長、調査養成部長、芸能部長を経て、2006年に日本芸術文化振興会理事に就任した[1]

沖縄伝統芸能への貢献

沖縄伝統芸能においては、琉球舞踊組踊などの演出、監修を数多く務め、実演家の育成に努めた[22][23]

その他の活動

歌舞伎以外では、2017年第60回記念日本舞踊協会公演で創作日本舞踊『にっぽん―まつりの四季』の作・構成・監修を務めた[24]

このほか、『松緑芸話』、『芝居日記 三島由紀夫』などの貴重な記録や、伝統芸能に関する著作や文章を多数発表している。

受賞歴

  • 1998年 - 社団法人日本演劇協会賞受賞 - 2024年 - 第7回JTS山本邦山記念賞受賞

著書

単著

  • 『歌舞伎モノがたり』淡交社、1998年3月 - 『芸と人 戦後歌舞伎の名優たち』演劇出版社、2011年4月[25]

編集・聞き書き

  • 『松緑芸話(げいばなし)』講談社、1989年5月(織田紘二聞き書き) - 『芝居日記 三島由紀夫』中央公論社、1991年7月 - 『歌舞伎入門』淡交社、1997年3月(織田紘二監修) - 『新版歌祭文 摂州合邦辻 ひらかな盛衰記』白水社、2001年5月(織田紘二編著) - 『歌舞伎 家・人・芸』淡交社、2005年4月(織田紘二監修) - 『ぜんぶ芸のはなし』淡交社、2005年7月(織田紘二・中嶋典夫編著)

テレビ出演番組

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI